2006.10.12
Le Prix de l'Arc de Triomphe 2006【Review-3】
凱旋門賞の【Review】も3回目。今日は少し視点を変えて、今年の凱旋門賞を多数訪れた日本人旅行者のこと及びフランス競馬について振り返ってみたい。
1.偏見に満ちたマスコミ報道
国内外のマスコミで、日本人旅行者について様々な報道がなされていたが、特に国内のマスコミでは、誤ったもしくはあたかも日本人だけが悪いような報道がなされていたので、まずは現地観戦者として私が目にしたもの、感じたものに基づき、日本のマスコミが誤ってもしくは偏って報道した部分を指摘しておこうと思う。
◆日本人の席取り、場所取りは目を覆うほど酷かった→そもそも“日本流”の場所取りは通用しない
日本の競馬場でよく目にする光景である競馬新聞、敷物等を用いた席取り、場所取りはフランスでは一切通用しない(笑)。例えば、場所取りのために敷物を敷いておいても、いったんその場を離れると、帰ってきた時にはきれいに敷物がどかされて別の人が座っている。これに戸惑った日本人ファンは多かったことだろう。
私は前回の凱旋門賞での経験があったので、外ラチ沿いに荷物を置いて、トイレや馬券の購入をグループで交替して行う戦略を取った。最初のうちは客も少なく、何とかこの戦略で足りていたのだが、仮柵が外された4レース以降は客が増え、段々と自分のいるスペースが狭くなってきた。そんな時、私の後方にフランス人女性が2名近づいてきた。どうやら私のポジションを奪いたいらしい。私は180cm弱の身長なので彼女たちには邪魔に映ったようだ。レース前から彼女たちは何と私の足や背中に蹴り(あくまで軽いものですが)を入れてどかそうとしてきたが、私もここまで来て屈する訳にはいかなかったのでじっと我慢していた。4レースのPrix l'Operaがスタートしたが、彼女たちの蹴りはレース中も断続的に私に入れられている。私も堪忍袋の緒が切れてしまい、Mandeshaのゴールと同時に歓喜しているフリをして、(相手が女性だから悪いとは思ったのだが)1人にはバックブロー、1人には“フグ・トルネード”を入れさせてもらった(あくまで軽く)。私は英語もフランス語も分かるので、「少し場所を譲って下さい」と言われれば譲らないこともなかったが、彼女たちからはついぞそのような言葉はなかった。5レースが始まる前に、後ろを振り向いたら彼女たちは「あのジャポネ、アブナい」と判断したのかもういなかった。
日本では、敷物の主がしばらく帰ってきていない時などは私も敷物をどかしてしまう(私の友人は、いずれも自分のものではない敷物と敷物を交換して喧嘩になるのを見て楽しむ、と言っていた)ことがあり、日本流の場所取りは大嫌いだが、フランスの人も皆マナー良く見ている訳ではない。日本のマスコミが報道しなかった部分でこのような小競り合いが(多分)あったことは伝えておきたい。日本のマスコミによると日本人による場所取りが酷かったという報道が一部であったが、そんなことはないし、日本人だけではないぞ、と反論しておく。
◆欧州における競馬場は王侯貴族の社交場である→煌びやかな帽子を被ったパリジェンヌだけが客ではない
上記のような言葉を、凱旋門賞当日のロンシャン競馬場の様子を表現するために、華やかに着飾ったパリジェンヌの写真のキャプションとして使っていた日本のマスコミが多かった。
確かに、凱旋門賞当日は「女性の帽子コンテスト」(場内では前日から女性用の帽子が販売されていた)があるため(女性は帽子を被っていれば入場料無料!)、着飾ったパリジェンヌたちが多かったし、指定席に入るような方々は男性もスーツを着ていた。対照的に、日本人旅行者の服装について、「ディープインパクトの勝負服(いわゆる“金子服”)を着たファンが多数いた」とまるで「日本人が汚い格好をして、王侯貴族の社交場に迷い込んだ」と言わんばかりの報道がなされていた。
それでは、凱旋門賞当日は着飾った男女ばかりで日本人はその場から浮いてしまっていたのだろうか。私が見た限り、そんなことはない。馬券を買っていたら、ツーンと目と鼻を突くいわゆる“浮浪者臭”を漂わせている方がおられたし、例年、ドーバー海峡を大挙して渡って来るイギリスの方々は、競馬を見に来ているのか、宴会をしに来たのか分からないくらい飲みまくり、空になったワインやシャンパンの瓶をその辺に散乱させていた(全レース終了後、その瓶を場内を周遊していた馬が踏みつけてしまっていた)。
また、ヨーロッパの方のトイレのマナーは日本人から見ると劣悪である。凱旋門賞当日はトイレが足りなくなるため、仮設トイレが用意されるのだが、その仮設トイレの便座の3つに1つはもぎ取られていた。このあまりにも汚い排便環境に私の前に並んでいた日本人女性は自分の順番が来てから、トイレに向かい歩みを進め、そのような仮設トイレの“惨状”を見てUターンしてきてしまったくらいだ(笑、気持ちは痛いほど分かります)。
どうしても日本のマスコミは自国の旅行者を貶めたいらしく、とても偏見に満ちた報道が多かった。現地で取材している方なら、上記のような事実は容易に目に出来たはずである。公平な報道など今の日本のマスコミに望むのは酷だが、猛省を促したい。
競馬はギャンブルの側面を持っているため、日本で普通に馬券を買っている時は、ファンの心が一つになることは決してない(一人一人、みんな本命馬が異なるから)。でも、今回の凱旋門賞のために渡仏された方の大半はディープインパクトの快挙達成の瞬間を見てみよう、世界にディープがどこまで通用するんだろうか見てみたい、と思うあまり、6,000マイル以上の長旅をこなした人であろう(余談ではあるが、私の参加したツアーには有馬記念を第1回から見ているという超ベテランファンのオジサマもおられた)。日本人の心が一つにまとまり、“大応援団”を結成出来たことは、結果こそ残念だったとは言え非常に有意義なことではなかったか。私は以前も書いたが、日本という国も日本人もどちらかというとあまり好きではないのだが、久しぶりにナショナリズムの高揚をロンシャン競馬場で感じた。10月1日、日本人の大応援団は、スタンドに陣取っていたShiroccoの応援団よりも断然輝きを放っていたように思う。
2.もう競馬場には2度と来るな的日本人
その一方で、日本でも“ご法度”とされていることを平然とやってのけてしまった日本人旅行客も目に付いた。
パドックで騒ぎ、そしてフラッシュを焚きながら写真撮影を行っていた日本人旅行客。あなた方は日本の競馬場にもどうか二度と来ないで下さい。とりあえず、馬とはどういう動物で、フラッシュを焚くことでどのような競走能力に対する影響があるか、について200時間以上学習し、研究論文を作成して下さい。どうせ、このような所業を行った日本人旅行客はディープが引退すると競馬など見向きもしなくなる方々ばかりのはずなので、早晩、競馬場からは消えてしまうとは思うが。
3.フランス競馬に与えた“ヒント”
250、1兆796億円
上記の数字が何を意味するかお分かりだろうか。順にフランスにおける競馬場数、馬券の売上高である。ちなみに我が国では競馬場数30、売上3兆2千億円程度である。
競馬は血統を後世に繋いでいくブラッドスポーツとしての側面がある一方、金を取ってプロの技を見せる興行としての側面を併せ持っていることはご存知の通りである。我が国における競馬は興行としての側面では世界一の成功を収めている(現在は凋落気味であるが)ことも周知の通りである。
フランス競馬は馬券の売上が低落気味である。実際に凱旋門賞の前日や当日に街のカフェで「Paris Turf」を広げていたのは私くらいであり、メトロや街の広告スペースに凱旋門賞のポスターが貼られていたことは貼られていたのだが、それを目に留めているのはこれまた私くらいだった(笑)。また、凱旋門賞について現地のテレビは当日もほとんど報道しておらず、翌日、フランスの一般紙「Le Monde」では、凱旋門賞について1センテンスも触れられていなかった。パリジャン、パリジェンヌにとって、「凱旋門賞」とはさほど興味をそそるイベントではないらしい。
一部海外マスコミが報道していたが、今回の日本人旅行者の“若さ”にフランス人始めヨーロッパの方は驚かれたようである。実際、ロンシャン競馬場では私のような年齢でもまだ若い方だと感じるくらいミドル以上の年齢の方が多く、20代の入場者などまばらにしか見掛けなかった。また、“開門ダッシュ”時に靴が脱げてしまった日本人旅行者、ディープ敗戦を受けて涙を流していた日本人旅行者を見て、「競馬にこんなに熱くなれるとは」と驚いていたようである。
フランスだけではなく、欧州全体に言えることなのだが、競馬人気は低落している。競馬発祥の地を相手にこんなことを言いたくはないのだが、欧州競馬関係者は「俺たちが世界の中心」と胡坐を欠き、競馬の興行としての側面を軽視しては来なかったか。「馬券はどうすれば売れるのか」「どうすればファンを多く入場させることが出来るのか」・・・それについて考えることを怠っていたのではないか。
あるフランス競馬関係者が、凱旋門賞の馬券の売上が例年に比べて大幅にアップしたことを受けて、「将来は日本でも凱旋門賞の馬券を発売したい」旨の発言を行ったという。気付いている人は気付いているのだと感じたが、まずはフランス国内に目を向けてはどうか。
上で少し触れたが、「若年層を競馬ファンとして開拓する」ことに対して、フランス競馬関係者は少し頭を捻った方が良い。それをどうすれば達成できるかについては、ここでは書かないが、我々日本人旅行者が十分“ヒント”を与えてきたつもりである。将来ファンを開拓しなければ、競馬というジャンルの未来はない(これは我が国でも一緒だが)。
また、日本で凱旋門賞のニュースを追いかけていた方なら気付いていらっしゃると思うが、ギリギリまで誰がどの馬に乗るのか決まらなかったし、複数の憶測が直前まで流れ続けた。欧州では馬主と調教師の結びつきが強いため、密室で意思決定がなされることが多く、事前にほとんど情報がマスコミに漏れないようである。情報がマスコミに漏れて来ないため、マスコミはたいした記事が書けず、結果として一般のファンには何も伝わらず、ファンはレースに向けて興味を高めるということが出来ないのだと言う。これも入場者が伸びない、馬券の売上が伸びないという理由にはなっていないか。長年に亘って出来上がってきた“風習”だけに今更直せない部分もあるのだろうが、馬券を販売している以上、もっと“ファンの顔”を見た方がいいのではないか。競馬は興行なのだから、多くの人が参加し、馬券を売らなければ衰退するのは自明の理である。これでは、日本における地方競馬と同様の状態と言っても過言ではないだろう。“情報の乏しさ”は人々の興味を喚起することはない。
馬券の売り方を知りたかったら、また“熱い”ファンを作り出したかったら、日本の競馬場に足を運ぶことをお奨めする。そこにはあなた方が恐らくは見たことがない競馬が広がっているはずだ。
フランス競馬の重厚感、歴史、名馬たち・・・私は大好きである。フランスで競馬をやりたいという気持ちは、私がフランス語を学び続けている強いモチベーションであり続けている。上述したが、日本のマスコミは日本の競馬文化を欧州の競馬文化より下に見ているようである。だから、欧州競馬に対し、言ってしまえば卑屈な態度を取り、自国の旅行者を貶めるような報道を繰り広げたのだと思う。私は自国の競馬文化は世界に誇れるものだと考えている。それはフランスや他の欧州諸国にはない発展を遂げ、独自の文化を築いた。
もちろん、我が国が競馬発祥の地である欧州に学ぶこともまだまだたくさんある。文化交流とは異文化のぶつかり合いであり、どちらかの文化に迎合することではない。フランスの競馬文化も日本の競馬文化も素晴らしい側面、是正していかなければならない側面がある。異文化がぶつかり合い、良い文化を取り込みあい、悪い文化を駆逐して新しい文化が生まれる、それが文化交流のあるべき姿である。私はフランスの競馬文化を尊重しつつ、日本の世界に誇るべき競馬文化を体感している人間として胸を張って、またロンシャン競馬場を訪れたい。
1.偏見に満ちたマスコミ報道
国内外のマスコミで、日本人旅行者について様々な報道がなされていたが、特に国内のマスコミでは、誤ったもしくはあたかも日本人だけが悪いような報道がなされていたので、まずは現地観戦者として私が目にしたもの、感じたものに基づき、日本のマスコミが誤ってもしくは偏って報道した部分を指摘しておこうと思う。
◆日本人の席取り、場所取りは目を覆うほど酷かった→そもそも“日本流”の場所取りは通用しない
日本の競馬場でよく目にする光景である競馬新聞、敷物等を用いた席取り、場所取りはフランスでは一切通用しない(笑)。例えば、場所取りのために敷物を敷いておいても、いったんその場を離れると、帰ってきた時にはきれいに敷物がどかされて別の人が座っている。これに戸惑った日本人ファンは多かったことだろう。
私は前回の凱旋門賞での経験があったので、外ラチ沿いに荷物を置いて、トイレや馬券の購入をグループで交替して行う戦略を取った。最初のうちは客も少なく、何とかこの戦略で足りていたのだが、仮柵が外された4レース以降は客が増え、段々と自分のいるスペースが狭くなってきた。そんな時、私の後方にフランス人女性が2名近づいてきた。どうやら私のポジションを奪いたいらしい。私は180cm弱の身長なので彼女たちには邪魔に映ったようだ。レース前から彼女たちは何と私の足や背中に蹴り(あくまで軽いものですが)を入れてどかそうとしてきたが、私もここまで来て屈する訳にはいかなかったのでじっと我慢していた。4レースのPrix l'Operaがスタートしたが、彼女たちの蹴りはレース中も断続的に私に入れられている。私も堪忍袋の緒が切れてしまい、Mandeshaのゴールと同時に歓喜しているフリをして、(相手が女性だから悪いとは思ったのだが)1人にはバックブロー、1人には“フグ・トルネード”を入れさせてもらった(あくまで軽く)。私は英語もフランス語も分かるので、「少し場所を譲って下さい」と言われれば譲らないこともなかったが、彼女たちからはついぞそのような言葉はなかった。5レースが始まる前に、後ろを振り向いたら彼女たちは「あのジャポネ、アブナい」と判断したのかもういなかった。
日本では、敷物の主がしばらく帰ってきていない時などは私も敷物をどかしてしまう(私の友人は、いずれも自分のものではない敷物と敷物を交換して喧嘩になるのを見て楽しむ、と言っていた)ことがあり、日本流の場所取りは大嫌いだが、フランスの人も皆マナー良く見ている訳ではない。日本のマスコミが報道しなかった部分でこのような小競り合いが(多分)あったことは伝えておきたい。日本のマスコミによると日本人による場所取りが酷かったという報道が一部であったが、そんなことはないし、日本人だけではないぞ、と反論しておく。
◆欧州における競馬場は王侯貴族の社交場である→煌びやかな帽子を被ったパリジェンヌだけが客ではない
上記のような言葉を、凱旋門賞当日のロンシャン競馬場の様子を表現するために、華やかに着飾ったパリジェンヌの写真のキャプションとして使っていた日本のマスコミが多かった。
確かに、凱旋門賞当日は「女性の帽子コンテスト」(場内では前日から女性用の帽子が販売されていた)があるため(女性は帽子を被っていれば入場料無料!)、着飾ったパリジェンヌたちが多かったし、指定席に入るような方々は男性もスーツを着ていた。対照的に、日本人旅行者の服装について、「ディープインパクトの勝負服(いわゆる“金子服”)を着たファンが多数いた」とまるで「日本人が汚い格好をして、王侯貴族の社交場に迷い込んだ」と言わんばかりの報道がなされていた。
それでは、凱旋門賞当日は着飾った男女ばかりで日本人はその場から浮いてしまっていたのだろうか。私が見た限り、そんなことはない。馬券を買っていたら、ツーンと目と鼻を突くいわゆる“浮浪者臭”を漂わせている方がおられたし、例年、ドーバー海峡を大挙して渡って来るイギリスの方々は、競馬を見に来ているのか、宴会をしに来たのか分からないくらい飲みまくり、空になったワインやシャンパンの瓶をその辺に散乱させていた(全レース終了後、その瓶を場内を周遊していた馬が踏みつけてしまっていた)。
また、ヨーロッパの方のトイレのマナーは日本人から見ると劣悪である。凱旋門賞当日はトイレが足りなくなるため、仮設トイレが用意されるのだが、その仮設トイレの便座の3つに1つはもぎ取られていた。このあまりにも汚い排便環境に私の前に並んでいた日本人女性は自分の順番が来てから、トイレに向かい歩みを進め、そのような仮設トイレの“惨状”を見てUターンしてきてしまったくらいだ(笑、気持ちは痛いほど分かります)。
どうしても日本のマスコミは自国の旅行者を貶めたいらしく、とても偏見に満ちた報道が多かった。現地で取材している方なら、上記のような事実は容易に目に出来たはずである。公平な報道など今の日本のマスコミに望むのは酷だが、猛省を促したい。
競馬はギャンブルの側面を持っているため、日本で普通に馬券を買っている時は、ファンの心が一つになることは決してない(一人一人、みんな本命馬が異なるから)。でも、今回の凱旋門賞のために渡仏された方の大半はディープインパクトの快挙達成の瞬間を見てみよう、世界にディープがどこまで通用するんだろうか見てみたい、と思うあまり、6,000マイル以上の長旅をこなした人であろう(余談ではあるが、私の参加したツアーには有馬記念を第1回から見ているという超ベテランファンのオジサマもおられた)。日本人の心が一つにまとまり、“大応援団”を結成出来たことは、結果こそ残念だったとは言え非常に有意義なことではなかったか。私は以前も書いたが、日本という国も日本人もどちらかというとあまり好きではないのだが、久しぶりにナショナリズムの高揚をロンシャン競馬場で感じた。10月1日、日本人の大応援団は、スタンドに陣取っていたShiroccoの応援団よりも断然輝きを放っていたように思う。
2.もう競馬場には2度と来るな的日本人
その一方で、日本でも“ご法度”とされていることを平然とやってのけてしまった日本人旅行客も目に付いた。
パドックで騒ぎ、そしてフラッシュを焚きながら写真撮影を行っていた日本人旅行客。あなた方は日本の競馬場にもどうか二度と来ないで下さい。とりあえず、馬とはどういう動物で、フラッシュを焚くことでどのような競走能力に対する影響があるか、について200時間以上学習し、研究論文を作成して下さい。どうせ、このような所業を行った日本人旅行客はディープが引退すると競馬など見向きもしなくなる方々ばかりのはずなので、早晩、競馬場からは消えてしまうとは思うが。
3.フランス競馬に与えた“ヒント”
250、1兆796億円
上記の数字が何を意味するかお分かりだろうか。順にフランスにおける競馬場数、馬券の売上高である。ちなみに我が国では競馬場数30、売上3兆2千億円程度である。
競馬は血統を後世に繋いでいくブラッドスポーツとしての側面がある一方、金を取ってプロの技を見せる興行としての側面を併せ持っていることはご存知の通りである。我が国における競馬は興行としての側面では世界一の成功を収めている(現在は凋落気味であるが)ことも周知の通りである。
フランス競馬は馬券の売上が低落気味である。実際に凱旋門賞の前日や当日に街のカフェで「Paris Turf」を広げていたのは私くらいであり、メトロや街の広告スペースに凱旋門賞のポスターが貼られていたことは貼られていたのだが、それを目に留めているのはこれまた私くらいだった(笑)。また、凱旋門賞について現地のテレビは当日もほとんど報道しておらず、翌日、フランスの一般紙「Le Monde」では、凱旋門賞について1センテンスも触れられていなかった。パリジャン、パリジェンヌにとって、「凱旋門賞」とはさほど興味をそそるイベントではないらしい。
一部海外マスコミが報道していたが、今回の日本人旅行者の“若さ”にフランス人始めヨーロッパの方は驚かれたようである。実際、ロンシャン競馬場では私のような年齢でもまだ若い方だと感じるくらいミドル以上の年齢の方が多く、20代の入場者などまばらにしか見掛けなかった。また、“開門ダッシュ”時に靴が脱げてしまった日本人旅行者、ディープ敗戦を受けて涙を流していた日本人旅行者を見て、「競馬にこんなに熱くなれるとは」と驚いていたようである。
フランスだけではなく、欧州全体に言えることなのだが、競馬人気は低落している。競馬発祥の地を相手にこんなことを言いたくはないのだが、欧州競馬関係者は「俺たちが世界の中心」と胡坐を欠き、競馬の興行としての側面を軽視しては来なかったか。「馬券はどうすれば売れるのか」「どうすればファンを多く入場させることが出来るのか」・・・それについて考えることを怠っていたのではないか。
あるフランス競馬関係者が、凱旋門賞の馬券の売上が例年に比べて大幅にアップしたことを受けて、「将来は日本でも凱旋門賞の馬券を発売したい」旨の発言を行ったという。気付いている人は気付いているのだと感じたが、まずはフランス国内に目を向けてはどうか。
上で少し触れたが、「若年層を競馬ファンとして開拓する」ことに対して、フランス競馬関係者は少し頭を捻った方が良い。それをどうすれば達成できるかについては、ここでは書かないが、我々日本人旅行者が十分“ヒント”を与えてきたつもりである。将来ファンを開拓しなければ、競馬というジャンルの未来はない(これは我が国でも一緒だが)。
また、日本で凱旋門賞のニュースを追いかけていた方なら気付いていらっしゃると思うが、ギリギリまで誰がどの馬に乗るのか決まらなかったし、複数の憶測が直前まで流れ続けた。欧州では馬主と調教師の結びつきが強いため、密室で意思決定がなされることが多く、事前にほとんど情報がマスコミに漏れないようである。情報がマスコミに漏れて来ないため、マスコミはたいした記事が書けず、結果として一般のファンには何も伝わらず、ファンはレースに向けて興味を高めるということが出来ないのだと言う。これも入場者が伸びない、馬券の売上が伸びないという理由にはなっていないか。長年に亘って出来上がってきた“風習”だけに今更直せない部分もあるのだろうが、馬券を販売している以上、もっと“ファンの顔”を見た方がいいのではないか。競馬は興行なのだから、多くの人が参加し、馬券を売らなければ衰退するのは自明の理である。これでは、日本における地方競馬と同様の状態と言っても過言ではないだろう。“情報の乏しさ”は人々の興味を喚起することはない。
馬券の売り方を知りたかったら、また“熱い”ファンを作り出したかったら、日本の競馬場に足を運ぶことをお奨めする。そこにはあなた方が恐らくは見たことがない競馬が広がっているはずだ。
フランス競馬の重厚感、歴史、名馬たち・・・私は大好きである。フランスで競馬をやりたいという気持ちは、私がフランス語を学び続けている強いモチベーションであり続けている。上述したが、日本のマスコミは日本の競馬文化を欧州の競馬文化より下に見ているようである。だから、欧州競馬に対し、言ってしまえば卑屈な態度を取り、自国の旅行者を貶めるような報道を繰り広げたのだと思う。私は自国の競馬文化は世界に誇れるものだと考えている。それはフランスや他の欧州諸国にはない発展を遂げ、独自の文化を築いた。
もちろん、我が国が競馬発祥の地である欧州に学ぶこともまだまだたくさんある。文化交流とは異文化のぶつかり合いであり、どちらかの文化に迎合することではない。フランスの競馬文化も日本の競馬文化も素晴らしい側面、是正していかなければならない側面がある。異文化がぶつかり合い、良い文化を取り込みあい、悪い文化を駆逐して新しい文化が生まれる、それが文化交流のあるべき姿である。私はフランスの競馬文化を尊重しつつ、日本の世界に誇るべき競馬文化を体感している人間として胸を張って、またロンシャン競馬場を訪れたい。
2006.10.09
分かっていなかったのか
8日、都内で行われた「社台グループ謝恩会」でディープインパクトの金子真人オーナー(61)が次のような発言を行い、来年の凱旋門賞再挑戦には否定的な見解を明らかにした。
「ディープは本当にいい状態でレースできたと思う。凱旋門賞は3歳のスターをつくる舞台と認識した」
▼インパクト凱旋門賞再挑戦なし(日刊スポーツ)
この手のコメントは言って欲しくなかった。昨年、3歳で凱旋門賞という選択肢があったのにあえて3冠を選んだのは他ならぬ金子オーナーであるからだ。「凱旋門賞は3歳のスターをつくる舞台」・・・このことは過去の記録を紐解けば誰でも理解できる話であり、金子オーナーを始めとして、陣営は斤量面で多大な不利があることを承知の上で、今年の凱旋門賞への出走を決意したのであるから、今更、斤量面での不公平を敗因として挙げてもらいたくはなかった。Arcは天皇賞やジャパンカップではない。こちらで書いたが、認識が幾分ずれていた、と言わざるを得ない昨日の金子オーナーの発言である。
「ディープは本当にいい状態でレースできたと思う。凱旋門賞は3歳のスターをつくる舞台と認識した」
▼インパクト凱旋門賞再挑戦なし(日刊スポーツ)
この手のコメントは言って欲しくなかった。昨年、3歳で凱旋門賞という選択肢があったのにあえて3冠を選んだのは他ならぬ金子オーナーであるからだ。「凱旋門賞は3歳のスターをつくる舞台」・・・このことは過去の記録を紐解けば誰でも理解できる話であり、金子オーナーを始めとして、陣営は斤量面で多大な不利があることを承知の上で、今年の凱旋門賞への出走を決意したのであるから、今更、斤量面での不公平を敗因として挙げてもらいたくはなかった。Arcは天皇賞やジャパンカップではない。こちらで書いたが、認識が幾分ずれていた、と言わざるを得ない昨日の金子オーナーの発言である。
2006.10.09
Le Prix de l'Arc de Triomphe 2006【Review-2】
Deep Impactの敗戦から一週間が過ぎた。この間、マスコミでは色々な敗因が取り沙汰されているが、今回は思いつくままにDeep Impactの敗因を探ってみたい。個人的には、あまり振り返りたくないのだがこれをやらないと(自分としては)先に一歩も進めないという思いがある。
■臨戦過程は適切だったのか
宝塚記念以来の出走となった臨戦過程は当初から不安視されていたが、3着という結果に終わったことにより、国内外のメディアから一気に批判が噴出してきた格好となっている。一般論から言えば、SS産駒は一度叩いた方が、競走への集中力が増すタイプの馬が多いと言えば多いのだが、こればかりは個体差があり何とも言えない。ディープインパクトの場合は休み明けだからと言って、パフォーマンスが落ちるタイプではなかった訳だが(彼のこれまでのキャリア中、前走との間隔が一番詰まっていたのが昨年の神戸新聞杯→菊花賞間の中3週だが、それ以外は必ず前走との間隔が1月以上開いている)、このレースではこれまでのようには行かなかった。
それでは、Irish Champion StakesやPrix Foyと言ったArcの主要プレップレースを叩くべきだったのだろうか。私個人の意見としてはプレップレースを叩いて欲しいという意見だったが、プレップレースを使うことによるリスクも考慮に入れなければならないだろう。上記に挙げたレースはメンバー的にそれなりの馬が揃うため、万全とは言えないまでも8〜9分程度の仕上げをする必要があるし、本番でもう一度ぶつかる可能性の高い相手に自分の手の内を教えてしまうことにもなる。上述したが、ディープインパクトは前走との間隔を比較的ゆっくりと取っていること、後方から捲って高速の上がりを繰り出すレーススタイルから推察するに、レースを使うことによる反動が(他馬に比べて)大きく出るタイプであると思われる。したがって、一度レースを使うことによるリスクは我々が思う以上に大きかったのではないだろうか。それが結果として、陣営に「ぶっつけ本番」を決断させた理由になっていると考えられる。
凱旋門賞というレース、10月第1週という微妙な時期に施行されるレースであるため、調整が非常に難しいとされている。ディープに続く4着と敗れたHurricane Runは恐らく“キングジョージ”の時が心身ともに充実していたピークの状態であったと考えられ、その状態に戻らないまま凱旋門賞を迎えてしまったような感がある。ホームの馬でも難しい調整をアウェイのディープ陣営が結果的に出来なかったことは、いわば仕方のないことだったのかも知れない。我が国では、調教技術の向上により、レース間隔が開いた休み明けの馬であっても、徐々に強めの調教を課すことにより、実際にレースを使うのと同じくらいの負荷を馬に与えることが可能にはなったが、ほんの少しのボタンの掛け違いが勝敗を分ける世界最高峰の舞台ではそれが通用しなかった。時期的な微妙さも頂の高さの一要因である。
■陣営に慢心はなかったか
池江調教助手、市川厩務員が襲い掛かるプレッシャーの中、寝食を忘れ、心血注いで馬を仕上げたものの、その努力は頂には届かなかった。
海外遠征経験が豊富な池江厩舎ということで、我々ファンも安心していた所がなかったと言えば嘘になるが、「海外遠征に向けて始動が遅くはなかったか」と感じる部分がある。ディープ陣営が正式に凱旋門賞挑戦を決めたのは(もっと早くから構想としてはあっただろうが)、春天後の5月初旬、そしてフランスでの滞在厩舎を決定したのは7月中旬であった。また、昨年のことを振り返ってみると、菊花賞で3冠を達成した後、陣営にはジャパンカップと有馬記念という2つの選択肢があったが、陣営はグランプリを選択した(これについてはJRAの営業戦略なども絡んでいてややこしいのだが)。古くはシンボリルドルフが3冠達成後、体調が整わなかったにも関わらず(下痢気味だったと言う)ジャパンカップに出走し、海外遠征プランを発表したのはジャパンカップの後だったとは言え、Arcでこれまで最高の結果を残したエルコンドルパサーもジャパンカップに出走した。
凱旋門賞はホームで戦う天皇賞や有馬記念と同じレベルで思考してはならないレースである。もちろんホームで戦うジャパンカップを経験することだけでは海外遠征へ向けての準備としては不足ではあるのだが、現実問題として、海外調教馬(1.5〜2線級ではあるが)と戦える機会というのは(他に国際レースはあるものの)ジャパンカップしかないのである。翌年の海外遠征を視野に入れているのであれば、是非ジャパンカップを使うべきであったと思う。またルドルフの話になってしまい恐縮だが、彼の陣営は2歳時から海外遠征を構想していたとされ(故・和田オーナーの偉大なる我侭でもあるが)、ジャパンカップの雰囲気を少しでも慣れさせるために、2歳チャンピオン決定戦の朝日杯をスキップし、ジャパンカップ当日のレースをあえて選択したとされる。海外遠征を真剣に思考するということは、このような真摯な姿勢が必要とされるのである。これと比較すると、ディープ陣営は慢心とは言わないまでも、海外しかもArcで戦うことへの姿勢が幾分欠けていたとは言えないだろうか。
■菊花賞の功罪
3歳牡馬56キロ、4歳以上牡馬59.5キロ(牝馬はそれぞれ1.5キロ減)・・・もう飽きるほど目にした凱旋門賞の条件設定である。このまるでハンデ戦の如き斤量差が勝敗に影響していることは間違いないが、「斤量差を補正すればディープが世界一」という慰めにも似た言葉はここでは一切吐きたくはない。なぜなら、この斤量差があっても、85回の歴史の中で、4歳以上馬が優勝した事例が32回もあるからだ。我々が考えなければならないのは、斤量を補正して自己満足することではなく、なぜ過去に延べ32頭が達成できてディープが出来なかったのか、である。59.5キロという斤量に文句を言っても何も始まらないし、何も生まれない。それがArcというレースだからだ。陣営は「4歳以上牡馬59.5キロ」という条件設定を重々承知の上で今回の遠征を決めたのであるから、今更これを敗因として取り上げてもらっては困るという気もする。
今年の欧州の3歳馬は例年に比べ、レベルに疑問符が付くというのが下馬評だった。だが、蓋を開けてみれば、そのレベルが低かったはずの3歳馬(しかも英ダービーや愛ダービーの覇者ではない)Rail Linkの1/2馬身少し後ろにディープインパクトは敗れ去った。Rail Link自身のLongchamp2400への適性の高さや成長力を加味しても、「3歳牡馬56キロ」という斤量設定がいかにArcでは最高の“武器”であるかを思い知らされる結果となった。
ここからは仮定の話になるのだが、もしディープインパクトが昨年、凱旋門賞に出走していたらどうなっていたか、を考えてみたい。昨年のArc覇者Hurricane Runは直線で前が詰まるロスがあり、ディープから2馬身半後方にいた。同斤で昨年の凱旋門賞馬に先着は果たしている。昨年の凱旋門賞、Hurricane Runはインコースのグリーンベルトを爆発的な末脚で突き抜けた。今年よりも緩い馬場であったことから単純に比較は出来ないし、今年より頭数が多かったことから、もしディープが出走していたら馬群の外を回していたはずであり、勝てたかどうかは微妙なところだが、少なくとも56キロという“武器”を持っていたことにはなり、好勝負に持ち込めたのではないかという気はする。
昨年のダービー圧勝後、「菊花賞ではなく凱旋門賞に出走すべきだ」という声が一部競馬評論家、そしてファンの間からも挙がっていたという事実がある。だが、陣営は迷うことなく菊花賞を秋の目標に設定し、無敗の3冠馬という称号を手に入れることを選んだ。仮に凱旋門賞に出走していたら、菊花賞は日程的にスキップしなければならず、彼は「無敗の3冠馬」ではなかったことになる。イギリスにおけるセントレジャーと異なり、我が国の菊花賞は未だ「3歳最強馬決定戦」の威光を失ってはいない。仮に自己の管理する馬が皐月賞、ダービーを無敗で制した場合、その馬を管理する調教師が秋の目標として凱旋門賞を設定するだろうか。現在の我が国の調教師でそのような選択をする人は恐らく稀有だろうし、そのような調教師(恐らく若手調教師)が最強クラスの馬を仕入れているとは考えにくいので非現実的な話になってしまう(栗東・森調教師が3歳夏の時点でエアシャカールを“キングジョージ”に遠征させたという事例はあるが、あの方はご存知の通りかなり特殊な部類である)。池江泰郎調教師の世代(65歳)を考えても、昨年秋の時点で凱旋門賞に挑戦させることを望むのは酷と言うものである。3冠を目前にして、なぜ大きなリスクを冒す必要があるのか、というのが本音であろう。
1999年そして今年も3歳馬に日本馬は屈することになった。しかし、凱旋門賞を勝つことが途方もなく手が届かないものではないこと、ただ、勝つためには何かが足りないこともエルコンドルパサー、ディープインパクトのパフォーマンスによって分かったのではないだろうか。
「凱旋門賞を(ただ単に)勝ちたい」なら3歳秋の時点で遠征した方が良い。出走したと同時に3.5キロの“武器”を手に入れることが出来るからだ。皐月賞→ダービーを無敗で(もしくはそれに準じた成績で)制して、その上で菊花賞をスキップする“勇気”(関係者(特に馬主)を説得する技量も含む)が備わった調教師が登場すれば、いずれ「3歳馬」による凱旋門賞制覇は遠い夢ではなくなるような気がするが、我が国には菊花賞がある。3歳秋の海外遠征という意志決定を困難にしているのは菊花賞の存在である。これはまさに「菊花賞の功罪」(功:3冠、罪:海外遠征しにくい)ではないだろうか。
上記以外にも敗因と言えば敗因、でも直接的には関連ないかも知れない、といった事項がどんどん浮かんでくる。例えば、JRAの海外遠征馬に対する補助金制度の不完全さ、農水省の検疫ルールetc・・・気分が滅入って来たのでこの項はこの辺にしたい。ただ、ディープインパクトの敗戦を受けて我々(本当は競馬サークル全体)が考えなければならないことは「好走すること」ではなく「勝つこと」である。どうすれば「勝てるのか」の道筋を見つけない限り、この後続く挑戦者たちも同じ“過ち”を繰り返し続けるだろう。
次回は、フランスをお騒がせした日本人旅行者のことや、フランスの競馬について思うところを書いてみたい。
■Deep on Longchamp
ついにロンシャンのターフに降り立ったディープインパクト。ディープインパクトのレースを見続けて来た人間にとってはたまらないシーンです。私はここでもうウルウルしてしまいました(笑)。
■臨戦過程は適切だったのか
宝塚記念以来の出走となった臨戦過程は当初から不安視されていたが、3着という結果に終わったことにより、国内外のメディアから一気に批判が噴出してきた格好となっている。一般論から言えば、SS産駒は一度叩いた方が、競走への集中力が増すタイプの馬が多いと言えば多いのだが、こればかりは個体差があり何とも言えない。ディープインパクトの場合は休み明けだからと言って、パフォーマンスが落ちるタイプではなかった訳だが(彼のこれまでのキャリア中、前走との間隔が一番詰まっていたのが昨年の神戸新聞杯→菊花賞間の中3週だが、それ以外は必ず前走との間隔が1月以上開いている)、このレースではこれまでのようには行かなかった。
それでは、Irish Champion StakesやPrix Foyと言ったArcの主要プレップレースを叩くべきだったのだろうか。私個人の意見としてはプレップレースを叩いて欲しいという意見だったが、プレップレースを使うことによるリスクも考慮に入れなければならないだろう。上記に挙げたレースはメンバー的にそれなりの馬が揃うため、万全とは言えないまでも8〜9分程度の仕上げをする必要があるし、本番でもう一度ぶつかる可能性の高い相手に自分の手の内を教えてしまうことにもなる。上述したが、ディープインパクトは前走との間隔を比較的ゆっくりと取っていること、後方から捲って高速の上がりを繰り出すレーススタイルから推察するに、レースを使うことによる反動が(他馬に比べて)大きく出るタイプであると思われる。したがって、一度レースを使うことによるリスクは我々が思う以上に大きかったのではないだろうか。それが結果として、陣営に「ぶっつけ本番」を決断させた理由になっていると考えられる。
凱旋門賞というレース、10月第1週という微妙な時期に施行されるレースであるため、調整が非常に難しいとされている。ディープに続く4着と敗れたHurricane Runは恐らく“キングジョージ”の時が心身ともに充実していたピークの状態であったと考えられ、その状態に戻らないまま凱旋門賞を迎えてしまったような感がある。ホームの馬でも難しい調整をアウェイのディープ陣営が結果的に出来なかったことは、いわば仕方のないことだったのかも知れない。我が国では、調教技術の向上により、レース間隔が開いた休み明けの馬であっても、徐々に強めの調教を課すことにより、実際にレースを使うのと同じくらいの負荷を馬に与えることが可能にはなったが、ほんの少しのボタンの掛け違いが勝敗を分ける世界最高峰の舞台ではそれが通用しなかった。時期的な微妙さも頂の高さの一要因である。
■陣営に慢心はなかったか
池江調教助手、市川厩務員が襲い掛かるプレッシャーの中、寝食を忘れ、心血注いで馬を仕上げたものの、その努力は頂には届かなかった。
海外遠征経験が豊富な池江厩舎ということで、我々ファンも安心していた所がなかったと言えば嘘になるが、「海外遠征に向けて始動が遅くはなかったか」と感じる部分がある。ディープ陣営が正式に凱旋門賞挑戦を決めたのは(もっと早くから構想としてはあっただろうが)、春天後の5月初旬、そしてフランスでの滞在厩舎を決定したのは7月中旬であった。また、昨年のことを振り返ってみると、菊花賞で3冠を達成した後、陣営にはジャパンカップと有馬記念という2つの選択肢があったが、陣営はグランプリを選択した(これについてはJRAの営業戦略なども絡んでいてややこしいのだが)。古くはシンボリルドルフが3冠達成後、体調が整わなかったにも関わらず(下痢気味だったと言う)ジャパンカップに出走し、海外遠征プランを発表したのはジャパンカップの後だったとは言え、Arcでこれまで最高の結果を残したエルコンドルパサーもジャパンカップに出走した。
凱旋門賞はホームで戦う天皇賞や有馬記念と同じレベルで思考してはならないレースである。もちろんホームで戦うジャパンカップを経験することだけでは海外遠征へ向けての準備としては不足ではあるのだが、現実問題として、海外調教馬(1.5〜2線級ではあるが)と戦える機会というのは(他に国際レースはあるものの)ジャパンカップしかないのである。翌年の海外遠征を視野に入れているのであれば、是非ジャパンカップを使うべきであったと思う。またルドルフの話になってしまい恐縮だが、彼の陣営は2歳時から海外遠征を構想していたとされ(故・和田オーナーの偉大なる我侭でもあるが)、ジャパンカップの雰囲気を少しでも慣れさせるために、2歳チャンピオン決定戦の朝日杯をスキップし、ジャパンカップ当日のレースをあえて選択したとされる。海外遠征を真剣に思考するということは、このような真摯な姿勢が必要とされるのである。これと比較すると、ディープ陣営は慢心とは言わないまでも、海外しかもArcで戦うことへの姿勢が幾分欠けていたとは言えないだろうか。
■菊花賞の功罪
3歳牡馬56キロ、4歳以上牡馬59.5キロ(牝馬はそれぞれ1.5キロ減)・・・もう飽きるほど目にした凱旋門賞の条件設定である。このまるでハンデ戦の如き斤量差が勝敗に影響していることは間違いないが、「斤量差を補正すればディープが世界一」という慰めにも似た言葉はここでは一切吐きたくはない。なぜなら、この斤量差があっても、85回の歴史の中で、4歳以上馬が優勝した事例が32回もあるからだ。我々が考えなければならないのは、斤量を補正して自己満足することではなく、なぜ過去に延べ32頭が達成できてディープが出来なかったのか、である。59.5キロという斤量に文句を言っても何も始まらないし、何も生まれない。それがArcというレースだからだ。陣営は「4歳以上牡馬59.5キロ」という条件設定を重々承知の上で今回の遠征を決めたのであるから、今更これを敗因として取り上げてもらっては困るという気もする。
今年の欧州の3歳馬は例年に比べ、レベルに疑問符が付くというのが下馬評だった。だが、蓋を開けてみれば、そのレベルが低かったはずの3歳馬(しかも英ダービーや愛ダービーの覇者ではない)Rail Linkの1/2馬身少し後ろにディープインパクトは敗れ去った。Rail Link自身のLongchamp2400への適性の高さや成長力を加味しても、「3歳牡馬56キロ」という斤量設定がいかにArcでは最高の“武器”であるかを思い知らされる結果となった。
ここからは仮定の話になるのだが、もしディープインパクトが昨年、凱旋門賞に出走していたらどうなっていたか、を考えてみたい。昨年のArc覇者Hurricane Runは直線で前が詰まるロスがあり、ディープから2馬身半後方にいた。同斤で昨年の凱旋門賞馬に先着は果たしている。昨年の凱旋門賞、Hurricane Runはインコースのグリーンベルトを爆発的な末脚で突き抜けた。今年よりも緩い馬場であったことから単純に比較は出来ないし、今年より頭数が多かったことから、もしディープが出走していたら馬群の外を回していたはずであり、勝てたかどうかは微妙なところだが、少なくとも56キロという“武器”を持っていたことにはなり、好勝負に持ち込めたのではないかという気はする。
昨年のダービー圧勝後、「菊花賞ではなく凱旋門賞に出走すべきだ」という声が一部競馬評論家、そしてファンの間からも挙がっていたという事実がある。だが、陣営は迷うことなく菊花賞を秋の目標に設定し、無敗の3冠馬という称号を手に入れることを選んだ。仮に凱旋門賞に出走していたら、菊花賞は日程的にスキップしなければならず、彼は「無敗の3冠馬」ではなかったことになる。イギリスにおけるセントレジャーと異なり、我が国の菊花賞は未だ「3歳最強馬決定戦」の威光を失ってはいない。仮に自己の管理する馬が皐月賞、ダービーを無敗で制した場合、その馬を管理する調教師が秋の目標として凱旋門賞を設定するだろうか。現在の我が国の調教師でそのような選択をする人は恐らく稀有だろうし、そのような調教師(恐らく若手調教師)が最強クラスの馬を仕入れているとは考えにくいので非現実的な話になってしまう(栗東・森調教師が3歳夏の時点でエアシャカールを“キングジョージ”に遠征させたという事例はあるが、あの方はご存知の通りかなり特殊な部類である)。池江泰郎調教師の世代(65歳)を考えても、昨年秋の時点で凱旋門賞に挑戦させることを望むのは酷と言うものである。3冠を目前にして、なぜ大きなリスクを冒す必要があるのか、というのが本音であろう。
1999年そして今年も3歳馬に日本馬は屈することになった。しかし、凱旋門賞を勝つことが途方もなく手が届かないものではないこと、ただ、勝つためには何かが足りないこともエルコンドルパサー、ディープインパクトのパフォーマンスによって分かったのではないだろうか。
「凱旋門賞を(ただ単に)勝ちたい」なら3歳秋の時点で遠征した方が良い。出走したと同時に3.5キロの“武器”を手に入れることが出来るからだ。皐月賞→ダービーを無敗で(もしくはそれに準じた成績で)制して、その上で菊花賞をスキップする“勇気”(関係者(特に馬主)を説得する技量も含む)が備わった調教師が登場すれば、いずれ「3歳馬」による凱旋門賞制覇は遠い夢ではなくなるような気がするが、我が国には菊花賞がある。3歳秋の海外遠征という意志決定を困難にしているのは菊花賞の存在である。これはまさに「菊花賞の功罪」(功:3冠、罪:海外遠征しにくい)ではないだろうか。
上記以外にも敗因と言えば敗因、でも直接的には関連ないかも知れない、といった事項がどんどん浮かんでくる。例えば、JRAの海外遠征馬に対する補助金制度の不完全さ、農水省の検疫ルールetc・・・気分が滅入って来たのでこの項はこの辺にしたい。ただ、ディープインパクトの敗戦を受けて我々(本当は競馬サークル全体)が考えなければならないことは「好走すること」ではなく「勝つこと」である。どうすれば「勝てるのか」の道筋を見つけない限り、この後続く挑戦者たちも同じ“過ち”を繰り返し続けるだろう。
次回は、フランスをお騒がせした日本人旅行者のことや、フランスの競馬について思うところを書いてみたい。
■Deep on Longchamp
ついにロンシャンのターフに降り立ったディープインパクト。ディープインパクトのレースを見続けて来た人間にとってはたまらないシーンです。私はここでもうウルウルしてしまいました(笑)。
2006.10.07
Le Prix de l'Arc de Triomphe 2006【Review-1】
「英雄は飛ばなかった」・・・第85回凱旋門賞はご存知の通りRail Link(牡3、A.Fabre厩舎)が優勝した。
▼ゴール前の写真(France Galop)
Rail Linkは道中、4、5番手に付け、前にいたDeep ImpactとHurricane Runをマークする形。直線半ばで先に抜け出しを図ったDeepに襲い掛かる。残り100ではいったんDeepが差し返すシーンもあったが、最後は斤量差か。ゴールまでしっかりと伸びてPrideの追撃を振り切る。Rail Linkは春シーズン、クラシック不参加でパリ大賞典勝ちがあった程度。だが、直前の最重要プレップレース・ニエユ賞を勝って勢いがあった上に、ロンシャン競馬場2400無敗という抜群のコース適性、敵はDeepだけと言ったような道中での位置取り、更には古馬との3.5キロ差という斤量面での“恩恵”を存分に生かした競馬となり、改めて「Arcは3歳馬のためのレース」を証明して見せた。
Prideは後方から末脚に賭ける展開。同馬のセールスポイントである息の長い末脚が直線で炸裂し、ゴール寸前でDeepを飲み込んだが、Rail Linkにはわずかに届かず。しかし、前2年惨敗が続いていたArcで今年の同馬が別馬であることを改めてアピールする高いパフォーマンスを見せた。
Hurricane RunはDeepの後ろのインで待機する展開。直線入口での手応えはいつものようにあまり良くなかった上に、直線で前が塞がり、外からDeepに無抵抗のまま突き放される。外に持ち出してからは一応の伸びを見せたが、昨年のArcで見せたような爆発的な末脚は影を潜めた。父Montjeu同様、“キングジョージ”がピークの状態だった可能性は大いにあり、4歳秋は父同様尻すぼみになりつつある。直前のフォワ賞を勝ったShiroccoは最下位に大敗。道中はDeepと同じような位置取りからフォルスストレートを前にDeepの前に出る。直線に入り抜け出してくるものと考えられたが、あっという間に一杯になり、あとは格下馬に次々と交わされ、気がつけば最下位に。フォワ賞優勝馬は本番で優勝できないというデータは今年も生きていた。
Rail Linkの走破タイムは当初発表された2分31秒70から2分26秒30に訂正された。この時計自体は1997年Peintre Celebreの2分24秒60、2004年Bagoの2分25秒00、2000年Sinndarの2分25秒80に続き、1987年Trempolinoと並ぶ凱旋門賞史上4位タイの好タイムだが、この日のLongchamp競馬場のレースは全体的に時計が速く、時計的な価値自体はさほど高くはないように思われる。しかし、当初2分31秒台と発表され、日本の競馬評論家陣がこぞって唱えていた「超スローで流れた直線だけの切れ味勝負の競馬」というレース評価はどうやら誤っているようだ。ハナを切ったIrish Wellsの6着は格下馬であるから仕方ないにしろ、途中で早めに仕掛けたShiroccoが完全に末を失い、最下位に敗れたところを見ると想像するよりも「先行馬には厳しい競馬」だった可能性が高い。その中でいったんは先頭に立ち、Rail Linkに交わされた後も、わずかの間ではあるが差し返して先頭を奪い返したDeep Impactを果たして力負けと断言して良いものだろうか。
今回は上位入線馬、当初ライバルと目されていた馬について短評を書いたが、次回はDeep Impactに焦点を当て、なぜ勝てなかったのかを私なりに分析してみたい。
■After the Arc・・・
Pos. | Horse | Jockey | Trainer | Time |
|---|---|---|---|---|
1 | Rail Link | S.Pasquier | A.Fabre | 2:26.30 |
2 | Pride | C.Lemaire | A.Royer-Dupre | neck |
3 | Deep Impact | Y.Take | Y.Ikee | 0.5 |
4 | Hurricane Run | K.Fallon | A.Fabre | 2.5 |
5 | Best Name | O.Peslier | R.Collet | 2 |
▼ゴール前の写真(France Galop)
Rail Linkは道中、4、5番手に付け、前にいたDeep ImpactとHurricane Runをマークする形。直線半ばで先に抜け出しを図ったDeepに襲い掛かる。残り100ではいったんDeepが差し返すシーンもあったが、最後は斤量差か。ゴールまでしっかりと伸びてPrideの追撃を振り切る。Rail Linkは春シーズン、クラシック不参加でパリ大賞典勝ちがあった程度。だが、直前の最重要プレップレース・ニエユ賞を勝って勢いがあった上に、ロンシャン競馬場2400無敗という抜群のコース適性、敵はDeepだけと言ったような道中での位置取り、更には古馬との3.5キロ差という斤量面での“恩恵”を存分に生かした競馬となり、改めて「Arcは3歳馬のためのレース」を証明して見せた。
Prideは後方から末脚に賭ける展開。同馬のセールスポイントである息の長い末脚が直線で炸裂し、ゴール寸前でDeepを飲み込んだが、Rail Linkにはわずかに届かず。しかし、前2年惨敗が続いていたArcで今年の同馬が別馬であることを改めてアピールする高いパフォーマンスを見せた。
Hurricane RunはDeepの後ろのインで待機する展開。直線入口での手応えはいつものようにあまり良くなかった上に、直線で前が塞がり、外からDeepに無抵抗のまま突き放される。外に持ち出してからは一応の伸びを見せたが、昨年のArcで見せたような爆発的な末脚は影を潜めた。父Montjeu同様、“キングジョージ”がピークの状態だった可能性は大いにあり、4歳秋は父同様尻すぼみになりつつある。直前のフォワ賞を勝ったShiroccoは最下位に大敗。道中はDeepと同じような位置取りからフォルスストレートを前にDeepの前に出る。直線に入り抜け出してくるものと考えられたが、あっという間に一杯になり、あとは格下馬に次々と交わされ、気がつけば最下位に。フォワ賞優勝馬は本番で優勝できないというデータは今年も生きていた。
Rail Linkの走破タイムは当初発表された2分31秒70から2分26秒30に訂正された。この時計自体は1997年Peintre Celebreの2分24秒60、2004年Bagoの2分25秒00、2000年Sinndarの2分25秒80に続き、1987年Trempolinoと並ぶ凱旋門賞史上4位タイの好タイムだが、この日のLongchamp競馬場のレースは全体的に時計が速く、時計的な価値自体はさほど高くはないように思われる。しかし、当初2分31秒台と発表され、日本の競馬評論家陣がこぞって唱えていた「超スローで流れた直線だけの切れ味勝負の競馬」というレース評価はどうやら誤っているようだ。ハナを切ったIrish Wellsの6着は格下馬であるから仕方ないにしろ、途中で早めに仕掛けたShiroccoが完全に末を失い、最下位に敗れたところを見ると想像するよりも「先行馬には厳しい競馬」だった可能性が高い。その中でいったんは先頭に立ち、Rail Linkに交わされた後も、わずかの間ではあるが差し返して先頭を奪い返したDeep Impactを果たして力負けと断言して良いものだろうか。
今回は上位入線馬、当初ライバルと目されていた馬について短評を書いたが、次回はDeep Impactに焦点を当て、なぜ勝てなかったのかを私なりに分析してみたい。
■After the Arc・・・
2006.10.04
Longchamp競馬場写真館
本日午後無事帰国いたしました。仕事の都合ですぐ出張に出なければならなかったので、レースについては後日時間のある時にゆっくりと。今日は少し趣向を変えてロンシャン競馬場で収めてきた写真を披露いたします。
まず、正面入口を入ると目に飛び込んでくるのがこのGladiateur号の銅像。フランスが世界に送り出した名馬が2頭いると言われていますが、その2頭はSea-Bird(史上最高のレーティング145ポンドを誇り、20世紀最強と謳われる)とこのGladiateurです。Gladiateurは通算成績19戦16勝。フランス産馬ながら英国クラシック三冠を制した伝説の名馬で1860年代の競走馬です。残念ながら引退後は不遇だったため、主だった産駒はいませんが、100年以上経った今もフランス競馬のLegendとして静かにロンシャン競馬場を見つめ続けています。
続いてロンシャン競馬場の正面画像。ウィークエンドロンシャンという年に一度のビッグイベントのため、きれいに飾られています。
こちらは1991年の凱旋門賞馬Suave Dancerの銅像。種牡馬として嘱望されていた彼ですが、不運にも落雷のため、その生涯を閉じています。
緑が眩しいロンシャンの直線コース。芝の丈は日本より長め。自然の状態をなるべくそのままに、というコンセプトのもと作られた実にきれいな芝コースでした。
ロンシャン競馬場のスタンドです。スタンド自体は東京競馬場を見慣れている方には小さく見えるかもしれません。
パドックとその中にある表彰台です。パドックは人との距離が近く、手を伸ばせば触れそうな距離を周回します。
競馬場内の標識ですが、よくみると「Salon Ribot」「Salon Corrida」と伝説の名馬の名前が店名につけられているのが分かります。ここにはありませんが、「Restaurant Sea Bird」というのもありました。フランス人の名馬に対する尊敬の念がこんなところにも感じられるかも?
まず、正面入口を入ると目に飛び込んでくるのがこのGladiateur号の銅像。フランスが世界に送り出した名馬が2頭いると言われていますが、その2頭はSea-Bird(史上最高のレーティング145ポンドを誇り、20世紀最強と謳われる)とこのGladiateurです。Gladiateurは通算成績19戦16勝。フランス産馬ながら英国クラシック三冠を制した伝説の名馬で1860年代の競走馬です。残念ながら引退後は不遇だったため、主だった産駒はいませんが、100年以上経った今もフランス競馬のLegendとして静かにロンシャン競馬場を見つめ続けています。
続いてロンシャン競馬場の正面画像。ウィークエンドロンシャンという年に一度のビッグイベントのため、きれいに飾られています。
こちらは1991年の凱旋門賞馬Suave Dancerの銅像。種牡馬として嘱望されていた彼ですが、不運にも落雷のため、その生涯を閉じています。
緑が眩しいロンシャンの直線コース。芝の丈は日本より長め。自然の状態をなるべくそのままに、というコンセプトのもと作られた実にきれいな芝コースでした。
ロンシャン競馬場のスタンドです。スタンド自体は東京競馬場を見慣れている方には小さく見えるかもしれません。
パドックとその中にある表彰台です。パドックは人との距離が近く、手を伸ばせば触れそうな距離を周回します。
競馬場内の標識ですが、よくみると「Salon Ribot」「Salon Corrida」と伝説の名馬の名前が店名につけられているのが分かります。ここにはありませんが、「Restaurant Sea Bird」というのもありました。フランス人の名馬に対する尊敬の念がこんなところにも感じられるかも?
2006.10.01
1着しかいらない
私が凱旋門賞というレースを意識するようになったのはいつくらいだろうか。
ディープインパクトの出走が間近に迫った今、ふとそんなことを考えてみた。
私が競馬を始めたのは約20年前、ターフには日本競馬史上最高のアイドルホースがいた。当時、毎年のように凱旋門賞馬がJCに来日していたため、ビギナーである私が海の向こうに「凱旋門賞という世界最高峰のレースがある」と知るのにそれほど時間を要さなかったように記憶している。しかし、その年の凱旋門賞馬のJCでの成績は決して褒められたものではなく、過去最高の成績を残したのは1996年Helissioの3着同着であり、Tony Bin(5着)、Carroll House(14着)、Urban Sea(8着)、Montjeu(4着)がことごとく敗れ去っている。その年の凱旋門賞馬のJC成績は(0-0-1-1-1-2)に過ぎない。
当時の私はビギナーなりの拙い知識で「最強とはなんぞや」を自問自答するようになった。最強とは字面どおり「最も強い」という意味である。「最も強い」馬が環境が変わるだけで負けるものなのだろうか。結論としては、競走馬には得意とする条件があり、A国で最強の馬もB国では最強たりえない、ということだった。競馬の「最強」を定義するのは今も昔も非常に難しい。シンボリルドルフとディープインパクトどっちが強い論争、はたまたSecretariatとDancing Braveはどっちが強いといった水掛け論になりがちである。上記の馬は走った国も違えば、走った年代も異なる。競馬の「最強」論は非常に複雑に出来ている。
しかし、世界の競馬地図には確かに「世界最高峰」と呼ばれる競走が存在する。それは残念ながら我が国のジャパンカップではないし、これからも多分そうはならない。サラブレッドの世界はボーダーレス。局地的な成功を収めてもそれは世界基準とはなり得ない。多数の人が世界基準と認める場所、レースで勝利したサラブレッドに「世界最高峰」の冠が与えられる。
凱旋門賞・・・過去にフランス調教馬の優勝馬が大多数を占める上に、優勝馬の全てが欧州調教馬であることから、他のスポーツでもよく見られる「ヨーロッパがナンバーワンを決める」的な考えが見え隠れしてどちらかと言えば、世界最強馬決定戦という定義づけに私は否定的だ。しかし、世界の競馬界はこのレースを最強を定義する上でのグローバルスタンダードとして使っている。世界の競馬界に存在理由を示すためには、彼らがグローバルスタンダードと呼んでいるレースを勝つことしかないのだと思う。
7年前、日本で調教された1頭のサラブレッドがこのグローバルスタンダードで2着になった。現地のマスコミは「2頭のチャンピオンがいた」とある一定の評価を与えたが、2着では、我々の記憶には残っても、記録には残念ながら残らない。競馬は勝ち馬を選定する競技であるからだ。もう1着しかいらない、それが率直な気持ちになる。
もしディープインパクトが欧州で生まれ、フランスで調教されていたなら、今年の凱旋門賞は楽勝だったのかも知れない。彼が日本で生まれ、日本で調教されている馬であるということが彼が頂に到達するのを難しくしている。しかし、それも彼が背負った運命であり、我々ファンは彼が圧勝しようとも惨敗しようとも日の丸を背負った彼の走りをゴールまでしっかりと見届けなければならない。
4年前、私はパリに大きな忘れ物をした。あれから4年後、その忘れ物を取りに私はパリに再び戻ってきた。そして、その忘れ物を私に届けてくれるのは彼だと信じている。普段は決して日本も日本人も好きではない私だが、この日だけはレース後「日本人で良かった」と心から喜べたらいいと思っている。競馬ファンになって随分と時が経ち、あらゆる面で擦れてしまい、ファンになった当時に比べれば一つのレースに対する感動も薄くなってきたが、直線を迎えるときの胸が苦しくなるような緊張感、一頭のサラブレッドが生み出す感動を素直に感じられるような、競馬ファンになったばかりの頃なら誰しもが持っていた競馬というものに対する瑞々しい感情を私はいつまでも失いたくないと考えている。
さあ、現地で応援する方も、日本で眠い目をこすりながらテレビの前で応援する方も、ディープと一緒にロンシャンのターフを走ろう。
ディープインパクトの出走が間近に迫った今、ふとそんなことを考えてみた。
私が競馬を始めたのは約20年前、ターフには日本競馬史上最高のアイドルホースがいた。当時、毎年のように凱旋門賞馬がJCに来日していたため、ビギナーである私が海の向こうに「凱旋門賞という世界最高峰のレースがある」と知るのにそれほど時間を要さなかったように記憶している。しかし、その年の凱旋門賞馬のJCでの成績は決して褒められたものではなく、過去最高の成績を残したのは1996年Helissioの3着同着であり、Tony Bin(5着)、Carroll House(14着)、Urban Sea(8着)、Montjeu(4着)がことごとく敗れ去っている。その年の凱旋門賞馬のJC成績は(0-0-1-1-1-2)に過ぎない。
当時の私はビギナーなりの拙い知識で「最強とはなんぞや」を自問自答するようになった。最強とは字面どおり「最も強い」という意味である。「最も強い」馬が環境が変わるだけで負けるものなのだろうか。結論としては、競走馬には得意とする条件があり、A国で最強の馬もB国では最強たりえない、ということだった。競馬の「最強」を定義するのは今も昔も非常に難しい。シンボリルドルフとディープインパクトどっちが強い論争、はたまたSecretariatとDancing Braveはどっちが強いといった水掛け論になりがちである。上記の馬は走った国も違えば、走った年代も異なる。競馬の「最強」論は非常に複雑に出来ている。
しかし、世界の競馬地図には確かに「世界最高峰」と呼ばれる競走が存在する。それは残念ながら我が国のジャパンカップではないし、これからも多分そうはならない。サラブレッドの世界はボーダーレス。局地的な成功を収めてもそれは世界基準とはなり得ない。多数の人が世界基準と認める場所、レースで勝利したサラブレッドに「世界最高峰」の冠が与えられる。
凱旋門賞・・・過去にフランス調教馬の優勝馬が大多数を占める上に、優勝馬の全てが欧州調教馬であることから、他のスポーツでもよく見られる「ヨーロッパがナンバーワンを決める」的な考えが見え隠れしてどちらかと言えば、世界最強馬決定戦という定義づけに私は否定的だ。しかし、世界の競馬界はこのレースを最強を定義する上でのグローバルスタンダードとして使っている。世界の競馬界に存在理由を示すためには、彼らがグローバルスタンダードと呼んでいるレースを勝つことしかないのだと思う。
7年前、日本で調教された1頭のサラブレッドがこのグローバルスタンダードで2着になった。現地のマスコミは「2頭のチャンピオンがいた」とある一定の評価を与えたが、2着では、我々の記憶には残っても、記録には残念ながら残らない。競馬は勝ち馬を選定する競技であるからだ。もう1着しかいらない、それが率直な気持ちになる。
もしディープインパクトが欧州で生まれ、フランスで調教されていたなら、今年の凱旋門賞は楽勝だったのかも知れない。彼が日本で生まれ、日本で調教されている馬であるということが彼が頂に到達するのを難しくしている。しかし、それも彼が背負った運命であり、我々ファンは彼が圧勝しようとも惨敗しようとも日の丸を背負った彼の走りをゴールまでしっかりと見届けなければならない。
4年前、私はパリに大きな忘れ物をした。あれから4年後、その忘れ物を取りに私はパリに再び戻ってきた。そして、その忘れ物を私に届けてくれるのは彼だと信じている。普段は決して日本も日本人も好きではない私だが、この日だけはレース後「日本人で良かった」と心から喜べたらいいと思っている。競馬ファンになって随分と時が経ち、あらゆる面で擦れてしまい、ファンになった当時に比べれば一つのレースに対する感動も薄くなってきたが、直線を迎えるときの胸が苦しくなるような緊張感、一頭のサラブレッドが生み出す感動を素直に感じられるような、競馬ファンになったばかりの頃なら誰しもが持っていた競馬というものに対する瑞々しい感情を私はいつまでも失いたくないと考えている。
さあ、現地で応援する方も、日本で眠い目をこすりながらテレビの前で応援する方も、ディープと一緒にロンシャンのターフを走ろう。












