3月から内田博幸騎手がJRAに転身することにより、今年の南関競馬の焦点は「ポスト内田博幸は誰の手に?」ということになろう。

内田博幸騎手のここ3年の南関東での勝ち鞍は2005年464勝、2006年460勝、2007年385勝。これだけの勝ち星が今年は他の騎手に配分されることになる。

昨年の南関リーディングベスト10は次のとおり(カッコ内は勝率、連対率)。

1位内田博幸(大井):385勝(23%、37%)
2位戸崎圭太(大井):211勝(13%、24%)
3位的場文男(大井):202勝(16%、32%)
4位今野忠成(川崎):172勝(12%、22%)
5位坂井英光(大井):171勝(12%、25%)
6位石崎隆之(船橋):112勝(13%、26%)
7位張田京(船橋):109勝(10%、22%)
8位酒井忍(川崎):107勝(9%、18%)
9位御神本訓史(大井):101勝(11%、21%)
10位石崎駿(船橋):91勝(9%、19%)

今年ここまでの南関リーディングベスト10は次のとおり(カッコ内は勝率、連対率)。

1位内田博幸(大井):55勝(24%、42%)
2位戸崎圭太(大井):49勝(17%、27%)
3位的場文男(大井):34勝(16%、32%)
4位坂井英光(大井):25勝(11%、24%)
5位御神本訓史(大井):25勝(12%、22%)
6位今野忠成(川崎):23勝(9%、20%)
7位石崎隆之(船橋):16勝(12%、21%)
8位真島大輔(大井):15勝(10%、20%)
9位張田京(船橋):15勝(9%、17%)
10位菅原勲(川崎):15勝(11%、20%)

今野忠成がやや出遅れ気味である以外は上位陣はほぼ例年通りの顔触れ。ここまでは騎乗数が多いことは確かだが、戸崎圭太が頭一つ抜け出した感があり、このままのペースなら自身初の年間300勝が見えてきそうだ。昨年くらいから重賞で船橋・川島厩舎の有力馬の騎乗も増えてきており(川島調教師が内田騎手の転身を見据えたものと思われる)、これからビッグレースが数多く組まれている南関で戸崎圭太の名を聞く機会も多くなろう。

一般に大物選手の移籍・引退は戦力ダウンや集客力の低下などデメリットばかり語られることが多いのだが、選手の世代的な新陳代謝が進み、新たな興味をファンに提供してくれるというメリットがあることを忘れてはならない。南関では内田博幸の約400勝を巡って残り10ヶ月、熾烈な戦いが繰り広げられることになる。果たして、大晦日の大井開催を終えてトップに立っているのは一体誰か。これが今年の南関競馬の大きな焦点の一つである。
本日行われた第68回菊花賞(Jpn1)はダービー2着馬のアサクサキングスが優勝。平成以降、ダービー2着馬の菊花賞優勝はこれで1991レオダーバン、1992ライスシャワー、1993ビワハヤヒデ、1996ダンスインザダーク、1999ナリタトップロード、2000エアシャカールに続き7例目となった。ダイワスカーレットに連敗して同世代牝馬の中でも最強とは言えないウオッカにダービー時、3馬身差を付けられたアサクサキングスが一応、この世代(牡馬)最強ということになった。まだ古馬と伍して戦えるかというと疑問があるアサクサキングスであるが、成長力のあるホワイトマズルを父に持っているので今後の活躍には注目したいところ。

ここでは菊花賞で6着以下、すなわち掲示板にも載れずに敗退した馬たちが菊花賞後どれくらい活躍したのかをご紹介してみたい。

1989年
優勝はバンブービギン。しかし、彼は脚部の故障で2度とターフに帰ってくることはなかった。“史上最弱世代”の声もある年であるが、菊花賞6着以下の馬に目を転じると、2頭のJRA重賞ウイナーが誕生している。11着のオースミシャダイはその後、阪神大賞典と日経賞を制し、メジロマックイーンが優勝した1991年の春の天皇賞では3着(15番人気)に食い込む活躍を見せた。ラストランとなった1991年の有馬記念では優勝したダイユウサクと同じ5枠に入っていたことはよく知られている。12着のオサイチジョージは翌年本格化。金杯(京都)、中京記念を制し、春のグランプリ宝塚記念では当時最強だったアイドル・オグリキャップに完勝して、この世代唯一の世代混合G1覇者となっている。主戦だった○山騎手が後に窃盗で逮捕されたため、彼のことを語ること自体が「タブー」となっている感があり、世代全体とともに影が薄くなっている印象がある馬だが、往時の実力はかなりのものがあった。

1990年
優勝はホクトスルタンの父、ドリームジャーニーの祖父(母の父)に当たるメジロマックイーン。この後、長きに渡ってチャンピオンホースとして日本の競馬界を牽引することになる、菊花賞馬らしい菊花賞馬。この世代、平成以降でも最強世代の一つに数えられる世代であり、菊花賞で大敗した馬の中にも好素材が多く、菊花賞後にJRAの重賞を制したのは3頭。7着ホワイトアロー(90愛知杯、92金杯(京都))はG3を中心に渋い活躍を見せた。10着オースミロッチ(92京都記念、京都大賞典)は人呼んで「京都競馬場の番人」。当時最強○外と称されたヒシマサルを完封した京都大賞典は強いの一言だった。また1993年の宝塚記念でただ一頭だけインコース(酷く荒れた馬場で彼以外は外を回った)を通ってあわやのシーンを演出したり個性的な役者だった。11着レッツゴーターキン(91小倉大賞典、中京記念、92天皇賞・秋)はローカルで頭角を現したが、1992年の秋天では当時最強だったトウカイテイオーを大外から一刀両断にした。これが彼の競走生活の白眉だろう。

1991年
優勝はレオダーバン。菊花賞後は1戦しただけでターフを去っている。同世代にトウカイテイオーがいるため影が薄い。世代全体としてもテイオーにパワーを吸い取られたかのような印象があり、他の活躍馬は不思議とテイオーと対決することがなかったヤマニンゼファーくらい。菊花賞6着以下の馬で後にJRAの重賞を制したのは14着ホクセイシプレー(92阪急杯)ただ1頭。彼は1993年に当時としては珍しかった海外遠征(香港国際ボウル)も果たしている。

1992年
優勝はライスシャワー。「関東の刺客」として長くG1戦線で活躍したが、残念ながら1995年の宝塚記念でその短い一生を閉じている。菊花賞6着以下で菊花賞後にJRAの重賞を制したのは2頭。6着セキテイリュウオー(93金杯(中山)、94東京新聞杯)は中距離戦線で長らく活躍。93、94年には2年連続で天皇賞・秋2着となっている。今年、皐月賞で久しぶりのJRAにおけるG1制覇を達成した田中勝春がもしこの馬の手綱を取っていなかったと仮定すれば、少々歴史は変っていたことになる。15着バンブーゲネシス(94マーチS)は菊花賞後、ダート路線に活路を見出し、栄えあるマーチSの「第1回」覇者として歴史に名を刻んだ。

1993年
優勝はビワハヤヒデ。翌年、更に強さを増し手が付けられなくなったが、多くのファンに期待されていたナリタブライアンとの兄弟対決を待たずにターフを去っている。6着以下で後にJRAの重賞を制したのは3頭。12着マイヨジョンヌ(96、97新潟大賞典、96福島記念)は長くローカル中距離戦線で活躍。17着ナリタタイシン(94目黒記念)は元々皐月賞馬なのでここに出すのは不適当なのだが、菊花賞後に一息入れられて翌年復活。春の天皇賞(阪神で行われた)ではビワハヤヒデの2着となっている。18着ネーハイシーザー(94産経大阪杯、京阪杯、毎日王冠、天皇賞・秋)は心房細動により菊花賞は殿負けだったが、翌年、本格派中距離ランナーとして活躍。クラシック時には歯が立たなかったウイニングチケット、ビワハヤヒデを秋の天皇賞で子供扱いにした。この世代はこの他にも主な勝ち鞍が「サロベツS(準OP)」にもかかわらず、秋天とJCで3着になった7着ロイスアンドロイス、後に地方競馬に転じて97年の二十四万石賞(高知)を制し、中央(セントライト記念を制している)、地方の両方で重賞ウイナーになった8着ラガーチャンピオンがいる。

1994年
優勝はナリタブライアン。翌春の阪神大賞典後故障。復帰後は往時の強さが半分になってしまった印象があるが、それでも96年の阪神大賞典でマヤノトップガンと競馬史に燦然と輝く名勝負を残した。ラストランとなった高松宮杯(現高松宮記念)出走に関しては物議を醸した。6着以下で後にJRAの重賞を制したのは4頭。6着インターライナー(95日経賞)はステイヤー路線で頭角を現しかけたが後に地方競馬に転じている。8着ゴーゴーゼット(95日経新春杯、中日新聞杯、アルゼンチン共和国杯)は中長距離路線で活躍。この後、ナリタトップロード、ヒシミラクルという2頭の菊花賞馬を輩出する実はステイヤー種牡馬だったサッカーボーイの活躍を予見させる走りを見せた。10着キョウトシチー(95ウインターS、シーサイドS。この他、ダートグレード競走で97、98白山大賞典、浦和記念。なお、ダートグレード制施行前の96名古屋大賞典、東京大賞典をも制している)はダート路線で大活躍。ドバイ遠征も果たした。12着フェスティブキング(95関屋記念)は福島でしか走らない馬としてキャラを確立した(福島5戦5勝。他場では勝てず)。本来は新潟の重賞である関屋記念も彼が勝った年は福島芝1700で争われた。

1995年
優勝はマヤノトップガン。その後、古馬G1を3勝したが、なぜか顕彰馬には選出されていない。主戦騎手が“あの方”というのも彼の話をし辛くしている一因かも知れない。6着以下で後にJRAの重賞を制したのは2頭。9着サウンドバリヤー(95愛知杯)は主にローカルG3を主戦場として長く現役を続けた。10着マイネルブリッジ(95福島記念、97七夕賞)は一介のローカル巧者に過ぎなかったが、1997年の有馬記念では最低人気で3着となりあっと言わせた。存在感のあるバイプレイヤーだった。

1996年
優勝はダンスインザダーク。菊花賞で見せた雷撃の如き豪脚の代償は大きく、このレースが最後のレースとなった。6着以下で後にJRAの重賞を制したのは2頭。7着インターフラッグ(98ステイヤーズS)は長距離路線で存在感を示していたが、後に地方に転じた。地方転厩後に上山の東北サラブレッド大賞典(2001年)を制している。11着ローゼンカバリー(97AJCC、日経賞、99目黒記念)はG1の常連として活躍。G2は勝てるのだが、G1には縁がなかった。

1997年
優勝はマチカネフクキタル。菊花賞後は勝ち星を重ねることが出来ずにターフを去っている。この世代、少々影が薄いが、別路線から史上最強マイラーの呼び声もあるタイキシャトルが出ている。6着以下で後にJRAの重賞を制したのは2頭。8着ステイゴールド(00目黒記念、01日経新春杯)は長らく一線級で活躍。01年にはドバイシーマクラシックと香港ヴァーズを制した。10着エリモダンディー(97京阪杯、98日経新春杯)は日経新春杯を制した矢先に不運にも鬼籍に入った。

1998年
優勝はセイウンスカイ。古馬になってからも日経賞、札幌記念を制したがG1には手が届かなかった。6着以下で後にJRAの重賞を制したのは4頭。8着カネトシガバナー(98愛知杯、01東京ハイジャンプ、03阪神スプリングジャンプ)は平地で頭打ちになった後はジャンプ界へ。見事にそこでも重賞を制覇する活躍を見せた。9着レオリュウホウ(00日経賞)は00年の日経賞で単勝万馬券の大波乱を演出し、海外遠征を予定していたグラスワンダーを粉砕している。13着タヤスメドウ(00新潟大賞典)は菊花賞後、じんわりと力をつけてローカルを中心に活躍。14着サンプレイス(01新潟大賞典)は少ないキャリアの中で重賞ウイナーとなる活躍を見せたことが買われて種牡馬入りしたが夭逝している。この他にシンコウシングラーという“有名馬”も菊花賞に出ていた。この世代は内国産馬以外にグラスワンダー、エルコンドルパサーという90年代を代表する名馬がいた世代であり非常に層が厚かった印象がある。

1999年
優勝はナリタトップロード。古馬G1にはついに手が届かなかったが長く一線級で活躍した。今までのところ牡馬の活躍馬が出ていないのが気がかり。夭逝しているためもう時間がない。6着以下で後にJRAの重賞を制したのは2頭ペインテドブラック(99ステイヤーズS)は有馬記念前の一叩きを目論んだテイエムオペラオーを返り討ちにしたステイヤーズSの1勝が光る。11着ロサード(99京阪杯、01小倉記念、02オールカマー、03小倉記念)は名脇役として長く活躍。4年連続重賞制覇は素晴らしい記録。この他、15着タイクラッシャーは後に地方へ転出。03年の瑞穂賞を制している。

2000年
優勝はエアシャカール。古馬になってから1勝も追加できなかったが、史上最も3冠に近かった2冠馬ではある。この世代はクラシック組から活躍馬が出ず、層が薄い印象を与えるが、後にタップダンスシチー、アグネスデジタルという異能の名馬を輩出した。6着以下で後にJRAの重賞を制したのは3頭。7着ヤマニンリスペクト(02函館記念)は潜在能力を評価されて後に種牡馬入りしている。8着ジョウテンブレーヴ(00京阪杯、01マイラーズC、02エプソムC)はマイルから中距離で活躍。なかなか強い馬だった印象。9着トップコマンダー(02日経新春杯)は条件勝ち直後に重賞を制したがその後は尻すぼみになった。

2001年
優勝はマンハッタンカフェ。翌年、春天を制しフランス遠征も果たした。6着以下で後にJRAの重賞を制したのは5頭。チアズブライトリー(03京阪杯、04七夕賞)は凡走続きから急激に巻き返してくるので馬券的には悩まされた馬。京阪杯は14番人気の単勝万馬券だった。9着テンザンセイザ(01京阪杯)は平坦コースで活躍した印象が強いが秋天3着の星もある。後に金沢へ転厩した(現役?)。12着サンライズペガサス(02、05産経大阪杯、05毎日王冠)は度重なる脚部不安を克服し、晩年はG1の常連となっていた。個人的には非常に思い入れの深い馬。13着ビッグゴールド(02中山金杯)は極度の不振から戻ってきた05年春が白眉。連勝して臨んだ春天で終始積極的な競馬を展開し、スズカマンボの2着に粘り大波乱の主役となった。後に金沢に転厩(現役?)。15着ダービーレグノ(03新潟記念)は中距離戦線で長く活躍。04年の札幌記念後に残念ながら鬼籍に入っている。この世代もかなり強い世代と称され、非常に層が厚い。菊花賞下位の馬からも多数活躍馬が出た。

2002年
優勝はヒシミラクル。翌年、春天、宝塚を制覇し、菊がフロックではなかったことを自らの走りで証明した。6着以下で後にJRAの重賞を制したのは6頭もおり、さすが「近年最強世代」と称されるに相応しい層の厚さとなっている。6着レニングラード(04アルゼンチン共和国杯)は休養期間が非常に長かったものの重賞ウイナーに。潜在能力は非常に高かった印象がある。7着バンブーユベントス(03日経新春杯)はトップガン産駒の少ない重賞ウイナーの1頭。順調に使えなかったのが悔やまれる。10着ナムラサンクス(04ダイヤモンドS)は条件戦を地道に勝ち上がりOP級にまで上り詰めた。11着アドマイヤマックス(04富士S、05高松宮記念)は後に短距離戦線へ進出。見事にG1ウイナーとなっている。適性が分かっていれば菊花賞をこの時点では使わないんだろうけど。14着マイネルアムンゼン(03、04エプソムC、04新潟大賞典)はG3レベルで渋く活躍。16着ローエングリン(03、07中山記念、03、05マイラーズC)は今年も重賞制覇しているように息の長い活躍を続け、堂々現役。この他、9着ヤマノブリザードは後に地方へ転じ、昨年の九州大賞典(佐賀)を制したが、先日天に召されたようだ。

2003年
優勝はザッツザプレンティ。菊花賞後は勝ち星を加えることが出来なかった。6着以下で後にJRAの重賞ウイナーとなったのは4頭。6着チャクラ(03ステイヤーズS、04目黒記念)は中長距離路線で長く活躍(というか最近は低迷か)していたが、先日入障。未勝利を勝ち上がっている。7着ヴィータローザ(06中山金杯)は現役で活躍中。休み明け数戦が狙い目。8着トリリオンカット(06朝日CC)は先日引退が発表された。9着サクラプレジデント(04中山記念)は潜在能力が高かったが距離の融通があまり利かなかった印象がある。種牡馬となってどうか。

2004年
優勝はデルタブルース。昨年、メルボルンCを制したのはご存知のとおり。6着以下でJRAの重賞ウイナーとなったのは4頭。6着スズカマンボ(05天皇賞・春)の春天での激走は記憶に新しい。アンカツも会心の騎乗の一つに挙げているとか。7着ハーツクライ(05有馬記念)は05年の有馬記念でディープに国内唯一の土を付け、昨年はドバイシーマクラシックを制覇。キングジョージでもハリケーンラン、エレクトロキューショニスト相手に一歩も引かない激闘を見せてくれた。8着グレイトジャーニー(06ダービー卿CT)はマイル路線で活躍中。9着カンパニー(05京阪杯、06産経大阪杯、07関屋記念)は中距離路線で活躍中。

2005年
優勝はディープインパクト。翌年も最強馬として期待に違わぬ活躍をし続けた。6着以下でJRAの重賞ウイナーになったのは2頭。6着アドマイヤフジ(06日経新春杯)は中長距離路線で活躍中だが、日経新春杯勝ち後は勝ち星がない。15着シャドウゲイト(07中山金杯)は今年の春にブレイク。シンガポール航空国際を制し今や国際G1ホースだ。この世代はディープ引退後に若干息を吹き返してきた印象があるが、多くのマスコミがなぜか喧伝するような強い世代ではないと思われる。

2006年
優勝はソングオブウインド。菊花賞後に出走した香港ヴァーズが現役最後のレースとなった。6着以下でJRAの重賞ウイナーになったのは2頭。8着トーホウアラン(06中日新聞杯)は使い込めない弱さがあり、まだ次走は未定とのこと。10着ネヴァブション(07日経賞)は今年重賞ウイナーに。まだ活躍が望める。


【菊花賞馬は世代最強馬なのか】
菊花賞優勝後に古馬G1を制したのは90メジロマックイーン、92ライスシャワー、93ビワハヤヒデ、94ナリタブライアン、95マヤノトップガン、01マンハッタンカフェ、02ヒシミラクル、04デルタブルース、05ディープインパクト。約半数である。ダービー馬や皐月賞馬よりは確か多いはずなのであながち間違ってはいないと思われる。ただ、3歳の秋の時点で秋天を選択する馬が増えたことなどから、例えば、02年世代のシンボリクリスエスのように菊花賞を経由しなくとも十分我々に世代最強であることをアピールした馬も多い。

【菊花賞で大敗しても未来はある】
平成以降の各世代で6着以下の馬から重賞ウイナーが誕生しているように菊花賞での大敗は別に悲観することではなさそうだ。6着以下でもG1ウイナーとなったのは下記のように8頭いる。

1989年12着オサイチジョージ(宝塚記念)
1990年11着レッツゴーターキン(天皇賞・秋)
1993年18着ネーハイシーザー(天皇賞・秋)
1997年8着ステイゴールド(香港ヴァーズ)
2002年11着アドマイヤマックス(高松宮記念)
2004年6着スズカマンボ(天皇賞・春)
2004年7着ハーツクライ(有馬記念、ドバイシーマクラシック)
2005年15着シャドウゲイト(シンガポール航空国際C)

短距離から長距離までバラエティに富んでいる。菊花賞時点でまだ成長過程にあり、実力がG1級に届いていなかった馬も当然いるだろうから、菊花賞の着順はあくまでその時点での結果と考えた方が良さそうだ。

ダービーで圧倒的な1番人気を裏切り、今日の菊花賞でも8着に終わった春の時点で世代最強馬と多くの人に信じられていた某馬は個人的には距離に限界があるタイプと見ている(血統表からスタミナを底支えする要素を感じないため。したがって、私はダービー時から彼の馬券を購入していない)ので、適性に合った距離を使えばまだ再生が可能かも知れないが、底力がG1級ではない可能性も大いにあり、来年の今頃は福島記念を走っているかもしれない(笑)。
9月17日(月)に盛岡競馬場で行われるダービーグランプリ(Jpn1)が、馬インフルの影響でJRA所属馬が出走できないため交流Gから地元重賞へ変更されたのに続き、9月24日(月)に船橋競馬場で行われる日本テレビ盃(Jpn2)も同様の理由で地元重賞へ変更された(いずれも交流Gの冠が外れたため賞金を減額)。

両レースとも秋の大一番JBC、そしてその後のJCDへつながるレースだけに地方競馬所属馬のみならず、交流Gを活躍の舞台としているJRAのダートトップホースにとってもローテーションの狂いが生じてくるのは確実だ。

JRA、地方競馬ともに入退厩の制限が緩和されて、放牧中の競走馬がトレセンや競馬場に帰ってこれる(もしくはその逆で放牧に出せる)ようになったが、JRA、地方間の交流再開のメドは今のところ立っていない。ダート路線のオープン馬のみならず、交流戦が中止されていることによって、JRA所属の未勝利馬が地方の交流戦を使って未勝利を脱出するという“裏技”も現在使えないようになっている。「もうすぐで未勝利脱出、でも時計のかかる地方の馬場の方がいいんだよなぁ」というような馬を抱えている調教師等の関係者は頭が痛いところだろう。

9月、10月のダートグレード競走は次のとおり(予定されていたものも含む。数字は格付け)。

9月17日:エルムS(札幌、3)
9月17日:ダービーグランプリ(盛岡、1)
9月24日:日本テレビ盃(船橋、2)
9月29日:シリウスS(阪神、3)
10月3日:東京盃(大井、2)
10月8日:MCS南部杯(盛岡、1)
10月9日:白山大賞典(金沢、3)
10月11日:エーデルワイス賞(旭川、3)
10月25日:北海道2歳優駿(札幌、3)
10月27日:武蔵野S(東京、3)
10月31日:JBCスプリント(大井、1)
10月31日:JBCクラシック(大井、1)

このうちJRAが施行するのはエルムS、シリウスS、武蔵野Sの3つだけであとは全て地方競馬が施行する競走である。

JRAでは主に興行的な理由(芝のレースより総じて人気がない=馬券の売上が少ない)からダート重賞の番組が極めて貧弱で、地方競馬主催の交流GがJRAのダート重賞の間に上手く組み込まれることで年間のダート重賞戦線が距離別にうまく回るように出来ている。現在のJRAダート重賞は13。内訳はJpn1が2、Jpn2が1、Jpn3が10である。地方にはJpn1、Jpn2が多くあるのでダートグレード競走全体として見れば不整合は生じないが、JRA単独で見るとレース数がJpn1>Jpn2となっているのは極めて不自然。通常、グレードが高いレースの方がレース数は少なくなるはずである。こんな点からもJRAが興行的に人気の低いダート重賞をいかにいい加減に扱っているか分かるかというものである。

JRAでは2歳から3歳春までに世代限定のダート重賞をユニコーン以外施行しない(この期間は地方にローテーションを依存している、とも言える)。このため、ダート路線の若駒たちはよく分からないオープン特別(伏竜、昇竜など)でお茶を濁されているのが現状である。早い時期から馬の適性に合わせて(クラシックを見据えた)芝ではなくダートを使う陣営にとってはローテーションを組むに当たって交流Gをローテーションに組み込まないと立ち行かないことになる。

今月はまだダートグレード競走が少ないため、影響は少ないのだが、来月になると月末のJBCへ向けて各地で距離別の大一番が目白押しである。来月も交流Gが地元重賞へ変更ということが相次ぐとダート路線のトップホースに重大な影響を与えることになろう。早期の交流再開を望みたい。
【JRA若手騎手受難の時代】
外国人騎手の短期免許制度がなく、地方競馬所属騎手の騎乗がオールカマー、JCや一部のオープン競走に限られていた時代は、若手騎手にとって「敵」はベテラン騎手だけであり、現在よりも多くの騎乗機会を得ていた。そのような環境の中で頭角を現していったのが、田中勝春や藤田伸二といった現在リーディング上位に名を連ねている騎手たちである。騎手を選択する馬主・調教師も現在ほど多様な選択肢がなく、かなりの有力馬であってもG1でそのまま若手を騎乗させることも現在よりは多かった。若き日の横山典弘がメジロライアンに騎乗し続けたことはその一例だろう(ノリは当時からかなり勝っていたが)。

ところが、外国人騎手の短期免許制度の確立、地方競馬所属騎手(しかも当地のリーディングクラスであることが多い)がほぼ毎週のように騎乗しに来るようになって様相は一変した。もちろんリーディング上位騎手が外国人騎手や地方騎手に騎乗機会を奪われることも増加したが、若手騎手が騎乗機会を多く得る重賞や特別以外の一般戦にまで外国人騎手、地方騎手に騎乗機会を与える関係者が増加したため、その分若手騎手の騎乗機会は激減した。外国人騎手や地方騎手に騎乗機会を与えたことで、JRAの競馬は平成初期より確実に厳しくなり、エキサイティングさが増したというメリットがあった一方、若手騎手の活躍の場を奪ったというデメリットもあった。つまりJRAは自分が競馬学校で育てた素材の成長機会を自ら奪ってしまったとも言える。

ある程度場数を踏んだ騎手ならいざ知らず、若手騎手の成長を促すためにはとにかく騎乗機会を増やす以外にない。多くの騎乗機会を得て、様々なタイプの馬に騎乗し実戦を通じて競馬を体に覚えこませる以外に上達の方法はない。若手騎手限定戦がたまに行われているが一日の騎乗がそのレースだけなのでは成長にはつながって来ない。

競馬は勝つことを目的とした競技であり、少しでもレースで勝つ可能性を高めるために技術の高い騎手を騎乗させるのは当たり前のことである。若手騎手が百戦錬磨のリーディング上位騎手、外国人騎手、地方競馬所属騎手と同じ土俵で最初から戦えと言ってもそれは土台無理な話である。その技量の差を埋めるために一般戦では減量特典がある訳だが、減量特典がある勝利度数100勝未満、キャリア3年未満のうちに結果を出さなければ、減量が取れた後で巻き返すことは極めて困難。いわば初年度産駒の出来で将来が決まってしまう種牡馬と同じであり、晩成型の騎手というのは現行制度ではほぼあり得ない。

来春、「JRA内田博幸」が誕生することがほぼ確実な状況となっている。所属は関東になるだろうが、その際、少なく見積もっても100の勝ち星が内田博幸に集まることが予想される(小牧のように中央入り後スケールダウンしなければ)。当然、田中勝春や横山典弘といったリーディング上位騎手の勝利数にも影響を与えるだろうが、若手、中堅の勝利数が今よりも減少するのは確実である。


【実現不可能な共通免許】
2003年に安藤勝己がJRAに移籍した際に問題になった「ダブル免許問題」だが、未だに何らの進展もなく(というよりもはやタブーか)、来年、内田博幸がJRAに移籍する際も地方引退→JRA免許取得という流れになりそうである。「騎手免許一元化」を望む旨をたびたび口にしていた内田博幸も制度の壁(と文子夫人?)には勝てないことになりそうだ。

まだ内田博幸は恵まれている方だとも言える。地方競馬の中では南関所属馬は強い部類に入り、JRAの行う交流競走に出走することが可能だからだ。その中で内田博幸は中央馬の騎乗機会を確保し、安藤勝己が騎手試験第1次試験を不合格になった際に作られた1次試験免除の資格を得る事が出来た。

しかし、中央に遠征させるレベルの馬を持たない地方競馬主催者に所属している騎手は中央での騎乗機会を得ることさえ叶わず、第1次試験から突破せざるを得ない状況となっている。赤木や柴山が第1次試験から突破し中央入りを果たしたことから、(これ以上の地方騎手の中央入りを食い止めるため?)近年、第1次試験が難しくなったとも言われている(それを突破したアンミツには感服)。

メディアに報道されないだけで、第1次試験から受験している地方競馬トップジョッキーは多いとされている(金沢の吉原寛人ら)。同じ国の同じ職業でありながら、免許の発行体が異なるというだけで優れた能力がスポイルされる可能性を高めていることになぜJRAは気付けないのか(アンカツの移籍の際はNARはダブル免許容認だった。まあスター騎手が流出することを考えれば、ねぇ。もちろんNARの方も騎手免許の管理を事実上“放棄”してきた罪は重い)。騎手としての技量を確かめるために学科試験を課す痛い組織には何を言っても無駄なのかも知れないが。

地方競馬の騎手に対する門戸開放よりも騎手免許統一化が必要なのはむしろJRAの若手騎手だろう。減量があるからと言っても騎乗機会を満足に確保できない者もおり、騎手として一番重要な時期に騎乗機会を確保できない→騎乗技術アップにつながらない→減量がなくなった後、成績悪化→調教助手へというプロセスを踏むことになってしまっている。若手騎手の騎乗機会を増やすためには平日に開催している地方競馬は修行の場としては打ってつけの存在。これは将来のエースを育成する意味でJRAにも多大なメリットがあるはずである。


【調教助手転身率の上昇】
最近、目に付くのが成績が上がらなくなった騎手が若くして(20代で)調教助手に転身するケースである。プロパーの調教助手はJRA競馬学校で厩務員資格を取得の後、調教師の推薦を受けて試験に合格する必要があるが、騎手経験者はこのプロセスが省略される。もちろん、将来の調教師試験受験という高い目標を持って調教助手に転身するケースもあるのだろうが、騎手経験者に対しては調教助手になるための試験が省略されるという制度であることから、安易に騎手を辞めて調教助手に転身しているケースも多いものと推察される。特に体力的にもまだまだこれからという20代の騎手にこのケースは多いのではないだろうか。

競馬学校卒業時、多くの新人騎手は「目標は武豊さん」「デトーリのように世界的に有名な騎手になりたい」といった騎手という職業に対する高い志を持って競馬界に飛び込んでくる訳だが、騎手になって数年もすると理想と現実のギャップに気付き、安易な道(調教助手転身)を選択している者も多いのだろう。新人の時の高い志は一体どこへ行ってしまったものか。

以前、栗東の某調教師が若手騎手の技量の未熟さを称して「JRA乗馬学校」と揶揄したことがあったが、最近の若手騎手の調教助手転身の多さを見ると、私は「JRA競馬学校調教助手課程」(実際にはそんなものは存在しない)と呼びたくなる。

騎手はそもそも個人事業者。したがって、騎乗馬を確保するための営業努力も不可欠であり、営業能力も含めてその騎手の「実力」とされる(「千明塾」では営業の方法も教えているそうだ)。

調教助手に転身した騎手の中には「腕には自信があるんだが営業が苦手で騎乗機会が少なくなったからやむを得ず調教助手になった」という騎手もいたことだろう。ではこのような腕自慢の営業下手騎手がJRAの騎手を辞めて、「オレの腕を買え!」とばかりに海外もしくは地方に活路を見出しただろうか。歴史上、地方→中央という道を辿った騎手は過去に6名いるが、中央→地方という道を辿った騎手は上山競馬(廃止)の渡邉修一元調教師のみであり、海外に行って騎手生活を続けた者もいない(中神輝一郎のケースは特殊ケース)。

結局のところ、JRAという“沈まない船”(と私は思っていないが、多くの人がこのように表現するのであえて使わせていただいた。JRAの目的は表面上、「畜産振興」や「世界に通用する馬づくり」なのだろうが、究極的には「国庫納入金の極大化」であり、それ以外の何物でもない。その目的を満足に果たせなくなれば当然沈む時は来る。)の庇護の下でしか活動できないということなのだろう。「この組織にいれば安定した生活が送れる」くらいの気持ちだろうか。

(その1)で書いたようにJRAには何年も勝っていない騎手が散見される。バクチ的な観点からは騎手も馬も「駒」。お金を生まない(馬券に絡まない)騎手は単なる負担重量に過ぎないのだが、これらの騎手が日々の生活にさえ窮しているとは聞いたことがない。他競技の「プロ」であれば、成績が落ちて生活の糧を得ることが出来なくなれば引退に追い込まれるものだが、JRAの騎手にはそれがないようだ。仮に若くして引退しても調教助手という道が“開けている”。これではプロ競技に必要不可欠なハングリー精神など育つ訳がない。私と競馬仲間の間では「JRAの騎手は公務員」ということにしてある。


【競馬学校の存在意義】
2007年は後年振り返ってみた場合、歴史的な転換点となるかも知れない。JRAの顔として長年騎手リーディングを守ってきた武豊がリーディングから陥落する可能性を秘めているからだ。武豊からリーディングを奪取するのがJRA競馬学校卒の騎手であれば「いよいよ世代交代か」といった見方も出来るのだが、リーディングの座を脅かしているのが兵庫競馬出身の岩田康誠なのだから話は簡単ではない。

競馬学校卒業の騎手が現役騎手の大多数を占めるようになったが、未だに競馬学校は第3期卒業生武豊を超える存在を輩出できないでいる。もちろん、武豊がそれだけ大きな不世出の存在であるということもあるが、彼とて既に38歳。肉体的にはよく節制しているようなのでまだ頑張ることが出来ると思われるが、いつまでも現役という訳にはいかないだろう。

岩田康誠は兵庫時代2,900勝余りの勝ち星を積み重ねてきたいわば騎手としての“完成品”。中央移籍時からこのような展開になることはある程度予想できた。JRAでは地方のトップジョッキーを積極的に受け入れることでエキサイティングな競馬を我々に提供してくれている一方、自分たちが育成してきた騎手たちがトップを取れないことで競馬学校の存在意義を問われることとなっている。

自前で多額のお金をかけて育成した騎手が地方出身騎手に通用しない」という現実を付き付けられて、JRAでは今後どのようにして「ポスト武豊」を育成していくつもりなのだろうか。松岡正海、川田将雅、鮫島良太ら若き力が伸びてきているのは明るい材料だが、いずれも武豊登場時の衝撃には遠く及ばない。

「次代のスーパースター騎手」を育成することがJRAの至上命題だろう。次のリーディング候補を地方競馬から“横取り”して来るようでは巨人軍とやっていることは変らないとしか思えない。
昨日、内田博幸騎手がJRA騎手試験の受験を表明したことにより、来春より(吉田稔のようなことがなければ)「JRA内田博幸」が誕生することになる。そこでにわかに注目を集めそうなのは「ポスト内田博幸」の座は誰が奪取するのだろう、ということだろう。内田博幸は昨年463勝、今年もここまで289勝している騎手であり、この勝ち星が来年は他の騎手に“分配”されることとなるからだ。

今日の開催を終了した時点での南関東リーディング争いは次のようになっている。

1位内田博幸(37)(大井):289勝
2位的場文男(50)(大井):127勝
3位戸崎圭太(27)(大井):126勝
4位今野忠成(30)(川崎):118勝
5位坂井英光(32)(大井):105勝
6位酒井忍(34)(川崎):81勝
7位石崎隆之(51)(船橋):81勝
8位御神本訓史(26)(大井):71勝
9位張田京(43)(船橋):68勝
10位石崎駿(23)(船橋):64勝

さすがに“リヴィング・レジェンド”的場、石崎父が再度リーディング争いをしたのでは20世紀に逆戻りといった感が否めないので、順当に行けば20代から30代前半の騎手ということになるだろう。

内田博幸が南関競馬シーンから姿を消す(であろう)来年3月以降、かなり熾烈なリーディング争いが繰り広げられそうである。個人的には天才・御神本に期待したいところだが、まずは素行を直そうか(笑)
JRAではこの土日から秋の開催がスタートするが、先週(9月2日)の開催終了時点で今年の勝ち鞍が「ゼロ」というジョッキーが東西合わせて21名(東:12名、西:9名、シーズン途中の引退者は除く)いる。

【ゼロ勝騎手一覧】
◎美浦所属
加藤士津八(22):55戦0勝(通算18勝)
沢昭典(36):20戦0勝(通算138勝)
黛弘人(21):136戦0勝(通算2勝)
柴田大知(30):34戦0勝(通算120勝)
鈴木慶太(24):15戦0勝(通算7勝)
中谷雄太(27):56戦0勝(通算52勝)
青木芳之(30):13戦0勝(通算92勝)
菊池憲太(26):14戦0勝(通算7勝)
池崎佑介(18):50戦0勝(通算0勝)
矢原洋一(30):17戦0勝(通算17勝)
江田勇亮(28):33戦0勝(通算30勝)
増沢由貴子(29):0戦0勝(通算34勝)

◎栗東所属
難波剛健(24):51戦0勝(通算54勝)
仲田雅興(29):24戦0勝(通算26勝)
竹之下智昭(27):34戦0勝(通算66勝)
高田潤(26):29戦0勝(通算74勝)
畑端省吾(25):29戦0勝(通算38勝)
白坂聡(26):12戦0勝(通算54勝)
西原玲奈(25):17戦0勝(通算17勝)
宇田登志夫(27):19戦0勝(通算38勝)
荻野要(28):24戦0勝(通算45勝)


加藤士津八は5年目。父・加藤和宏調教師は現役時代G1を何勝もした名手だったが、息子は今のところ期待に応えているとは言い難い成績。減量特典もなくなり昨年は1勝だった。競馬学校の同期は松岡正海、石橋脩ら。

沢昭典は18年目のベテラン。以前は年間2桁勝利をコンスタントに挙げていた時期もあったが、21世紀の声を聞くとまるで勝てなくなり、最後に勝ったのは2002年9月1日。すなわち丸5年勝っていない。競馬学校の同期は江田照男ら。

黛弘人は2年目。まだ減量特典があること、父(幸弘氏)が元騎手であることから騎乗馬はそれなりにあるが、結果を出せていない。父・幸弘氏も通算90勝の凡庸な騎手だったが、残念ながらこのままでは父以下になってしまう可能性も多分に孕んでいる。

柴田大知は12年目。デビュー当初は双子騎手として話題を集めたが、最後に勝ったのは2005年9月で丸2年勝っていない。ちなみに柴田未崎は今年これまでに1勝を挙げており、兄弟合わせて「1勝」である。競馬学校の同期は福永祐一、和田竜二ら。

鈴木慶太は5年目。減量騎手時代もパッとしなかったが、減量が取れてからも騎乗数が減少したことを除けば特に変化は見られず。昨年は1勝だった。

中谷雄太は10年目。年間2桁勝利を挙げた年もあるが、近年はジリ貧傾向。昨年は4勝だった。競馬学校の同期は池添謙一ら。

青木芳之は13年目。デビュー2年目には32勝を挙げるなど活躍した時期もあった(所属が藤沢厩舎だったのも大きいが)。一昨年、長期のオーストラリア遠征を敢行して昨年帰国したがオーストラリア遠征の効果というものは全く見られず帰国後わずか1勝。

菊池憲太は9年目。ここ2年は障害に特化しているが結果は出せていない。最後の勝利は2002年10月で丸5年勝っていない。競馬学校の同期は北村宏司ら。

池崎佑介は今年デビューの新人。未だに一度も馬券の対象となっておらず厳しい状況。吉田隼人のように2年目から急激に頭角を現すケースもあるので何とも言えないが、減量騎手は早く結果を出さないと厳しい将来が待ち受けている。

矢原洋一は13年目。昨年、2001年以来5年ぶりに勝利を挙げて一部で話題になっていたが、再び長いトンネルに入り込んだようだ。

江田勇亮は11年目。減量騎手時代でさえも最高6勝しか挙げられず現在に至る。昨年は1勝だった。競馬学校の同期は武幸四郎、勝浦正樹ら。

“将来の調教師夫人”増沢由貴子は12年目。競馬学校時代にアイルランド大使特別賞を受賞するなど騎乗技術は高いものを持っていたはずだが、JRAでは当時前例のない女性騎手ということで騎乗数に恵まれず現在に至る。近年では完全に増沢厩舎の調教助手としての仕事がメインであり、実戦騎乗はレアケース(昨年はJRA9鞍、地方2鞍)となっている。今年のJRAにおける騎乗はこのままだとなさそうだが、LJSが今年は全て平日に行われることになったため、11月5日の水沢競馬場で久しぶりにその騎乗が見られる予定であり、水沢、荒尾、浦和で計6騎乗は確保されている。すなわち、JRA所属騎手でありながら、今年の初騎乗は地方競馬において、そしてそれが今年の全騎乗機会になる可能性が高い。競馬学校の同期には福永祐一、和田竜二ら。


難波剛健は7年目。減量騎手時代は2桁勝利を挙げておりそれなりに活躍していた印象もあるが、減量が取れてからはジリ貧の成績。昨年は1勝だった。

仲田雅興は11年目。ここ数年は障害に活路を見出しているようだが結果が伴わず。昨年は1勝だった。競馬学校の同期は武幸四郎、勝浦正樹ら。

竹之下智昭は10年目。平地専門で頑張っているが目立った活躍はなし。昨年は3勝だった。競馬学校の同期は池添謙一ら。

高田潤は9年目。昨年の神戸新聞杯でドリームパスポートに騎乗し平地重賞を初めて制したのは記憶に新しいが、主な仕事は所属している松田博資厩舎の調教助手である。調教の技術については評判が良いようだが、実戦ではそれが生かせないのだろうか。昨年は5勝だった。競馬学校の同期は北村宏司ら。

畑端省吾は8年目。減量騎手時代の2年目に13勝を挙げたのが最高でその後はジリ貧に。昨年は3勝だった。

白坂聡は9年目。通算54勝だがその大半の47勝は減量騎手時代の3年間で挙げたもの。裏を返せばその後6年間でわずかに7勝ということだ。昨年は2勝だった。競馬学校の同期は北村宏司ら。

西原玲奈は8年目。今のところJRAが誕生させた最後の女性騎手である。最高がデビュー年の9勝であとはジリ貧というかほとんどが着外である。荒尾で2004年8月に勝ったのが最後の勝利でJRAでは同年1月に勝ったのが最後。昨年のLJS荒尾ラウンドでは2戦とも1番人気に支持されたが、荒尾所属馬の中ではかなり強いブルーアラオを最下位に敗退させるなど厳しい結果が待っていた。もはや調教助手になるだろうとしか思えない増沢由貴子と異なり、彼女には女性騎手に活躍の場を与えている地方競馬で再生して欲しいと個人的には思うのだが、無理だろうな・・・。

宇田登志夫は9年目。全38勝中32勝を減量騎手時代に挙げた。すなわちその後6年間でわずかに6勝ということである。昨年は0勝で2005年1月に勝ったのが最後。競馬学校の同期は北村宏司ら。

荻野要は10年目。1年目に15勝した後は年間1桁騎手になってしまい現在に至る。昨年は0勝で2005年10月に勝ったのが最後。競馬学校の同期は池添謙一ら。

全体的な印象として9年目(15期生)、10年目(14期生)の騎手が目立つ。

【今年引退した騎手のその後】
シーズン途中に引退した騎手の「その後」は次のとおりである。

◎美浦所属
鹿戸雄一(45):通算346勝→調教師

◎栗東所属
本田優(48):通算757勝→調教師
小池隆生(37):通算302勝→調教助手
服部剛史(26):通算29勝→調教助手
田中亮(25):通算5勝→調教助手
常石勝義(30):通算82勝→怪我により復帰を断念
高橋康之(34):通算57勝→調教助手
村山明(36):通算218勝→調教助手

圧倒的に「調教助手」が多い。また、栗東所属騎手の引退が目立ち、栗東は「人的新陳代謝」の面で美浦より進んでいるものと推察される。
JRAでは8月19日、20日の開催を中止し、先週より馬の移動制限等の条件付ではあるが、開催が無事再開された。JRA発表の馬インフル陽性馬は減少傾向にあるようだが、今のところ感染源と考えられているJRAの競走馬との交流競走を実施している地方競馬各主催者が開催中止もしくは開催日数の短縮に追い込まれている。

今のところ開催に影響の出た主催者は次のとおり。

道営:8月21〜23日の開催を中止。
大井:8月18日の開催を中止。予定されていた9月2日から7日までの6日間開催は9月2日の開催を中止し5日間開催に。
金沢:8月19、20日、26、27日の開催を中止。
笠松:9月9日、11〜14日の開催を予定していたが、9日及び14日の開催を中止。
名古屋:8月21〜24日の開催を中止。
兵庫:8月30日、9月4〜6日及び11〜13日の開催を中止。

上記以外では岩手、佐賀が通常通りの開催を行っているものの、馬インフルエンザによる出走取消が複数出ている(例えばこの日)。JRAの競走馬との接触がないもしくは少ない競馬場であるばんえい十勝、福山、高知、荒尾からは陽性馬の報告は今のところない。

開催に影響の出た主催者の機会損失を次のように試算してみた(いずれも前年同月の一日あたり平均売上に開催中止日数を乗じた。カッコ内は昨年度1年間の売上に占める機会損失の割合)。

道営:528百万円(4.5%)(開催中止3日間)
大井:1,831百万円(1.7%)(同2日間)
金沢:445百万円(4.4%)(同4日間)
笠松:200百万円(1.7%)(同2日間)
名古屋:398百万円(2.3%)(同4日間)
兵庫:1,681百万円(5.0%)(同7日間)

道営は馬インフルエンザが報道された一番最初の日(8月16日)にBGCを実施したため、実際の影響額はもう少し大きくなるだろう(BGCの売上が100百万円を割り込んだことから、JRA所属馬が出走取消になったことにより、馬券を購入しなかった方が多かったものと推定できる)。

大井は結果として単なる感冒で馬インフルは陰性だった馬がいた影響で8月18日の開催を取り止めた訳だが、当日は年に1度の土曜開催の上に、JRA開催中止、イナリワンの里帰りと集客増が見込める要因が多数あっただけに影響額は上記より大きくなるだろう(大井は通常で1日当たり1,000百万円程度の売上であるが、一部報道によると関係者は2,000百万円を見込んでいたとのこと)。

全国の地方競馬主催者の中で最も大きな影響が出たのが兵庫。今週の開催を1日短縮した上に、9月の半ばまで開催を中止せざるを得なくなった。昨年の9月は園田よりも売上が低い姫路での開催だったため、(今年は園田開催で売上増を期待していた)関係者も頭が痛いところだろう。

トレセン在厩馬だけで4,000頭を超える馬資源を有するJRAと異なり、各地方競馬主催者は数百頭の馬資源で開催をやりくりしている。ひとたび馬インフルが蔓延してしまうとまず頭数が揃わなくなり開催を中止せざるを得なくなってしまう。

野元賢一氏のコラムでも触れられていたが、地方が馬インフルにより開催中止に追い込まれたことについてJRAは態度を明確にしていない。感染源が現時点では特定されていないものの、JRA施設から全国に拡散したことが濃厚である以上、何らかの対応策をJRAは打ち出すべきではないか。“自転車操業”状態の所が多い地方競馬主催者にとって1日でも開催がなくなるのは死活問題。これが存廃問題を加速させる引き金とならないことを願うばかりである。

「移動制限の解除はいつになるのか」という問題もある。秋のG1シーズンへ向けて例年であれば、馬が放牧先からトレセンへ帰厩する時期がちょうど今頃であるのだが、今年はそれが出来ない状況。春シーズンに活躍したG1級のスターホースで放牧に出ている馬は移動制限の解除がない限り、トレセンへの移動が出来ないということである。移動制限の解除時期によっては、秋のG1戦線に多大な影響を及ぼすことは確実だ。また、移動制限の解除がなければ交流重賞への出走も出来ないことになる。来月はダービーグランプリ(Jpn1、盛岡)と日本テレビ盃(Jpn2、船橋)が予定されているが、移動制限の解除がなければいずれも地元所属馬のみの出走となる可能性が高い。JRA所属馬が交流重賞に出走できないことにより、先日のBGCのように興行上打撃を与える可能性は否定出来まい。通常開催に表面上は戻ったJRAであるが、まだ問題は山積している。



個人的にも馬インフルの影響が出てしまった(苦笑)。9月2日の大井開催のL-Wingチケットを前もって購入していたので払戻という手間が増えたのである。2週に1回ある大井の日曜開催のチケットを事前に購入しておくことが多いのだが、払戻はさすがに初めての経験である。特に夏場は東京、中山が全てパークウインズ化するため、先週みたいに遠征でもしない限り、生で馬を見る機会は実は少ない。まあ事情が事情だけに仕方ないか・・・。